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記憶の中の記憶

学生時代,神経解剖学がどうしようもなく苦手で,先生に困惑された。

神経解剖学については,社会科における地理を想像してもらいたい。歴史を学ぶにしても,政治を学ぶにしても,経済を学ぶにしても,最低限の地理的な知識は必要だ。日本が県や市や区に分けられるように,脳や脊髄も細かい領域に分けられる。地方ごとに産業や特産物があるように,脳や脊髄の中にあるそれぞれの領域は,それぞれ異なる機能を担当する。神経解剖学の授業ではそうやって,脳や脊髄に含まれる各領域の名前と場所を習った。昔の話なので教科の名前は本当は少し違ったかもしれない。ともかくも,神経解剖学を知らないと,その後,神経科学を学ぶのに差し支える。しかし当時の私は今以上にいわゆる暗記科目が苦手だった。センター試験の社会科は,覚えることが少ないというただそれだけの理由で,倫理・政治経済を選択したほどだったし,理科も生物はとらなかった。それなのに,よりによって大学で大量の暗記をこなさなければならないことに絶望的な気持ちを抱いたのを今でも鮮明に覚えている。東京の地下鉄の複雑な路線図を見た時の気持ちに近い。初めて来たのにあれを全部覚えろと言われたような。

神経解剖学のテストが終わって数日したころ,担当教員の方にすれ違いざま声をかけられた。
「君のテストの点数ひどかったけど,何かあった? 大丈夫?」

何もない。何もなかった。体調が悪かったわけでもバイトが忙しかったわけでもクラブ活動が忙しかったわけでもない。ただ覚えたくなかった。その結果,ほぼ白紙の状態で答案を提出する羽目になった。その先生にはひたすら謝った,と思う。振り返って考えると良い先生だった。叱る口調ではなく心配してくれていた。本当に申し訳ない。

テストは当然,再試験になった。まだしも牧歌的な時代だったので,再試験の出題範囲は本試験に比べてかなり少なかったと記憶している。「とりあえず,最低限,これぐらいは,覚えてくれよ,頼む」という教員の声が聞こえてきそうだった。そもそも本試験ですら,その担当教員からすれば最低限のことばかりだっただろう。向こうはあらゆる路線に精通した人たちだ。特に自分が研究している範囲については,路線の歴史から現在のダイヤ,各駅の特徴や街の様子,乗り換え方によって料金がどう変わるかまで,正確に把握している人たちだ。再試は落第していないので何とかなったのだろう。よく覚えていない。何せ記憶力には自信がないのだ。

試しに,触覚の情報が脳に伝わる経路を示してみようと思う。決して理解してほしいわけではなく神経系の複雑さを知ってほしいだけなので,ふわっと目を滑らしてもらえるとありがたい。

手で何かを触れた感覚は脊髄の後根神経節に伝わり,そこで触覚情報は二つの側枝に分岐する。
以下,『カンデル神経科学 第一版』486ページ,図22-11の説明から抜粋。

一つの側枝は脊髄灰白質に向かい,もう一つの側枝は同側の後索を上行し,延髄に至る。後索核からの二次神経は延髄内で正中線を横断し,内側毛帯を通って視床に向かい,後外側腹側核と後内側腹側核に終止する。

その後,視床から中心後回の体性感覚野に伝わって,「あ,手に物が触れた」という感覚を得るらしい。

ね,なかなかに面倒でしょう。

ちなみに,「後根神経節」や「後索核」は神経細胞が集まっている場所なので,つまりは駅名。「脊髄灰白質」や「内側毛帯」が路線(線路)名に当たる。触覚情報は,神経核で次の経路に乗り換え,最終目的地まで運ばれる。一つ強調しておくと,脊髄から脳へ至る触覚情報の経路が三次元的に描出されているこの図はとてもカッコいい。ちょとしたダンジョン感がある。できることならば一度ぜひこの図を見てほしい。

経路自体は,あるいは図自体はカッコいいのだけれど覚えるのは大変だ。経路は他にも多く存在し,触覚の経路は神経解剖学的知識のほんの一例に過ぎない。つまり,試験のために多くの経路と場所を記憶しなければならなかった。しかし考えてみれば,全国の路線を覚えている鉄道好きや,複雑な地下鉄網を把握している東京人は多くいる。最初は路線図やGoogle マップを確認しながらだとしても,毎日使っていれば誰でも自然と把握するようになる。地理的な知識にしたって,場所や環境から影響を受ける人間の営みに興味を持っていれば,知らぬ間に身についてしまうだろう。習う意味を理解し,興味をもって取り組めば結果的に覚える。これまでに散々色々なところで言われてきたことを学生時代の自分はひとつも分かっていなかった。神経解剖学の授業でも,神経系のもつ面白さ,興味深さをきっと伝えてくれていたにちがいない。ろくに聞いていなかった自分が悪いのだ。時間を遡って聞いてみたいと今なら思う。生物研究に携わるようになり神経科学の論文を読んでみると,脳の領域や神経細胞の種類は,すべての研究が前提とする知識だと実感する。私が今,専門外の神経科学の論文を読んでみたいと思うのは,人間が考えたり感じたり行動したりする仕組みが一つひとつ明らかになっていく様子を眺めてみたいからだ。

最後に,全てをひっくり返して終わりにしよう。

私は今でも神経解剖学が苦手だ。もうそれでいいと思っている。研究者として取り組むのならば必須の知識だけれど,神経科学の魅力を知るために絶対必要かと言われればそうでもない,と半ば開き直ってしまった。解剖学的な名前をその都度,確認しながら,論文に目を通したり『カンデル神経科学』のページをめくったりしている。Google マップを頼りながらでも旅行は楽しめる。同じく,気軽に神経科学を楽しんでいきたい。

2022.7.4 牧野 曜(twitter: @yoh0702)