初めて自然災害”水害”で被災するまで
令和元年、台風19号にて被災しました。
激甚災害に認定されましたが、ここで人生で初めて被災しました。
今まで、東日本大震災でも西日本豪雨でも
どこか他人事だった私。
東日本大震災は、私の住む地域でも同様の大きな揺れがあり、怖さ・大変さは分かっているつもりでした。
越水してから避難するまで
前日からテレビでも報道していたので、当日はどこへも出かけずに家にいました。
雨は日中ずっと降ってはいたものの、梅雨のしとしと雨ぐらいで風もあまりなかったので、テレビでやっているより大したことないな~と夜は思っていました。
夜中になって、雨が少なくなりましたが、スマホのエリアメールが1時間に1度くらいに鳴り始めました。
自宅から5㎞ほど離れた河川で越水が始まったとのメールでしたが、だんだんと越水が近づいてきて、ついに一番近いところで越水が始まった!
慌てて、着の身着のまま多少の着替えと貴重品のみ持って旦那の実家が山の上だったので避難しました。
川からは5キロほど離れていたので、越水情報が入っても周りでは何の変化もなく、近所の家は電気ついているし、車もあるので避難指示がでても避難している人はいませんでした。
夜が明けて・・
翌日、天気は晴れ。自宅に戻ると夜中もエリアメールはなるものの、避難した安心感で義実家で仮眠をとりました。
朝、7時、ニュースで飛び込んで来たのは慣れ親しんだ町が水没しているものでした。
慌てて自宅に戻ると付近は渋滞。
車の助手席からみる空は、自衛隊のヘリ、県の防災ヘリ、報道のヘリが5~6機飛んでいました。
なんとか車をとめ、歩いて向かいましたが付近は浸水し、家までいけませんでした。
付近を見る限り、我が家は確実に浸水しているようでした。
周りを歩くと、道一本違うだけで腰まで水が合ったり、全くなかったり・・
午後3時ごろ着替えをとりに行きたかったので、ビーチサンダルで捲れる短パンをはいて旦那が自宅に向かいました。
お尻のあたりまでつかりながら、家の様子を見に行く人や、荷物を取りに行く人が多く行きかっていました。
夫は180センチの長身で股のギリギリまでみずにつかりながら家の様子を見にってくれました。そのときは床下まで見る余裕がなかったようですが、我が家は床上までは上がっていませんでした。
待っている間、近所の人と話をしているとおじさんが
”自衛隊か県が排水車ですいあげてくれてるぞ”と、お話がありました。
待っている間の30分でだいぶ水が引けてきて、1時間後には家の前まで行くことができました。
その時に、床下を見たら浸水していたのを確認しました。
台風による川の決壊で床下浸水して、悲しいとか、怒りだというより、私はどこか他人事で、自分が被災者だとはどうも思えない気持ちでした。
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