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ステルラハイツ4511

 ミミ子は、それまでたまことは縁がなかったタイプの人間だった。会ってもお互い特に興味を持たずに通り過ぎていたかもしれない。

 まずたまこは自分が骨太で肉付きもよいことをそれなりに気にして、デブという用語には少々センシティブになっていたが、ミミ子はなんとも気持ちのいいデブだった。

 ファッションもイケてない、はっきり言ってダサい。初めてステルラハイツに来た時は、小花柄のヒラヒラしたロングワンピースにウサギのぬいぐるみを抱えていた。なぜ?その時たまこには、むしろミミ子がわざわざ似合わない服を着ているように見えた。

 それでも女性の美しさは体の造作、ましてや身に纏う物で決まるわけじゃない。たまこは、ミミ子の時折見せる目の輝きや滑らかな関西弁のベールを被った口調の鋭さに、初めから惹きつけられた。何よりミミ子の話は面白かった。独自の稀なる経験による博識な観点、におわせる謎の人脈、ぬいぐるみの醸し出す空気感と切れ味のギャップ。至近距離で面と向かう人間を虜にするのがミミ子の得意技。

「わたしね、レズビアンなんよ。」

 面白い子を見つけた、と言ってダリアがステルラハイツにミミ子を連れて来た日、焼きたてのアップルパイを食べながら、ミミ子は何気なく告白した。モトのこともあって目の前に現れたゲイという関係性に今度はたまこも驚きはしない。

 女同士は肉体的に繋がらなくても愛し合える。そう思うたまこをよそに、ミミ子は、今の彼女がヤらせてくれない、と不満をこぼす。不満を言ってもそこにギスギスしたネガティブさは全くなく、ドラえもんやムーミンのように、ファンタジックなキャラクターがジタバタしている時の愛らしささえ醸し出される。


「わたしも、うまくいかないのは相手を間違っていたのかもしれない。」

 女同士が心も体も愛し合う、ミミ子の話を聞いているうちに、ダリアが言い出した。ミミ子はそれにのって、女は男と交わらなくても子供を産むことが可能だという話を始めた。

「マリア様の処女受胎って聞いたことあるやろ。あれは御伽話みたく思われているけどな、」


 植物や昆虫の間では雌のみの個体発生はいくつも例があること、試験管内の話では人間においても単独の卵子から生命の発生が確認されていること、またその研究が人口調整のために既に利用されていることなど、ミミ子の口から真実か憶測かの際にあるような話が飛び出すたびに、たまこもダリアも素直に驚き感心した。

 そしてたまこはむしろ無性にセックスがしたくなった。そんな気持ちを察してかどうかミミ子は、ひとりでするセックスについて話し出した。

「オナニーって、いけないことみたいやろ?」

 オナニーという言葉はもともと旧約聖書に登場する聖職者の名前ということ、生殖のともなわない性交を禁じる時代の偏見ということ、そしていつの時代も出る杭は打たれるし勃ったチンコは絞られる、とジェスチャー付きで力説した。

 たまこは思わず茶を噴き出した。ダリアも脇で「エロオヤジ!」と言いながらクッションを叩いている。

 ミミ子の話はほとんどが下ネタで、本当にオヤジが話せば気色悪がられるのが関の山だが、そのファニーで福与かなルックスがすべてを丸く収めていた。

 ダリアなど最後には「あたしミミ子に抱かれてもいいかも!」と言って「お断り」されていた。

 期せずして訪れた珍客に大笑いの夜が更けて、ミーコおばさんの居なくなった穴は言わずもがな埋められていた。


 翌朝コーヒーを飲みながら、ミーコおばさんが居なくなったことを伝えるとダリアは「やるな」と言ってしばし考えて、

「じゃあ、あたしがあの部屋に住むよ」

と、こないだまでミーコおばさんが使っていた部屋の赤い扉を指差した。

 聞けば、所属事務所との契約が切れて住むところをなくしたと言う。簡単に言えばクビになり、ムシャクシャしていたところに友達から「霊感の強い」と評判のミミ子を紹介された。

 半信半疑で話をすると、見た目を裏切り博識でユーモアに富んだミミ子から「その別れは進化に必要なものでここから12年に1度のモテ期が到来する」「山を見ると運気が上がる」などと伝えられ、ダリアは意気揚々とステルラハイツへやって来たのだ。

 しかも「ラッキーカラーは赤」だと聞いていたダリアは、たまこの返事を待たずして赤い部屋へと荷物を運び込む。

 もちろんたまこの方も異存はない。ただ展開の早さに少しだけ胸が痛んだ。こうしてどんどん穴は埋められていく。



 しばらくして、紫の部屋の扉を開けて「おはよう」と出て来たミミ子は、今日も朝から人を笑わせる気が満々のようだ。ただでさえぬいぐるみのような体に、さらにクマの着ぐるみを羽織って何食わぬ顔でリビングに下りて来た。もうすでにミミ子に対しては特に突っ込みは必要ないことを覚えたたまこもまた何食わぬ顔で「コーヒー飲む?」とたずねると、クマは無言でうなずき、煙草を巻き始める。

 OLや子供に人気のクマのキャラクターが気だるげに煙草を吸う姿に、たまこはやっぱり笑ってしまいながらコーヒーをカップに注いだ。


 ミミ子もまたそれから頻繁にステルラハイツを訪れるようになり、そのうちとうとう、ヤらせてくれない彼女との同棲生活を解消して、紫の扉の部屋の住人となった。

 ここからステルラハイツの人の流れは大幅に変わる。これまでは、時々パーティーのように人が大勢集まることはあっても、ほとんど多くの時間をたまこがひとりで、ぼちぼち一人か二人のゲストを迎えるというルーティーンで、いつでも空き部屋があったのが、長期でゲストが部屋を専有するようになり、ひっきりなしに人が訪れるようになる。

 ミーコおばさんのいなくなった穴は埋められるどころか、もうどこに穴が開いていたのか、果たしてそんな穴はあったのか、ほとんど誰も気にするものは居なくなった。

 たまこは、リビングの正面にミーコおばさんの青い絵を飾ることにした。その青色は、慌ただしくカラフルに過ぎていく日常の中に、無言で、それでいて存在感のある静けさを放っていた。


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