なぜ病院薬剤師をやめて起業を選んだか?

私は、病院薬剤師として約20年活動し、専門薬剤師や学会のお仕事などにも携わらせていただきました。 そんな私がこれまでの経験や起業に至った思いなどをまとめてみました。


学生時代

 高校は、自宅から自転車で15分くらいかけて電車の駅まで向かい、そこからさらに電車で30分くらい、さらに通学バスで十数分かかる高校に通っていました。 中学生のころからバスケットボールをしていたのですが、高校では友人に誘われ、二人で水泳部を作り同じ系列の高校まで練習しに行ったりしていました。

 大学は薬剤師になるべく、神戸薬科大学に入学いたしました。 理由は化学が比較的得意だったから、国家資格が魅力的だったからといった夢のかけらもないものだったと記憶しています(笑)

 神戸薬科大学は、入学の1年前に神戸女子薬科大学(女子大)から共学に変わったところで、男性の先輩は一つ上の学年だけでした。 部活ではバスケットボールを再開しましたが、当然先輩はひとつ上の学年だけで自由な空気の中楽しんでおりました。

 思い返してみると、高校は第5期として入学し、大学は共学になってから2期目での入学とそもそも新しい環境で過ごしてきました。

 大学時代は、部活とバイトと(たぶん)勉強をがばっていましたが大学の友人のほかに、バイトの友人とよく遊んでいました。

 バイトは、居酒屋やファミリーレストランなどで調理やホールをしたり、短期派遣で下町の工場やコンサートやイベントの設営などいろんなことを経験して、良い思い出です。  おかげで今でも、我が家のオムレツ担当です(笑)

 バイト先の先輩に、プログラマーの勉強をしている方がおられて、その影響もあって、Accessを使って大学の研究室で使うデータベースなども作っていました。 合わせて、大阪の日本橋でパソコンのパーツを買ってきて自作パソコンを作って遊んでいました。

 大学院には行くと決めていたので、神戸薬科大学の大学院に進学し、平井みどり先生の研究室に所属いたしました。 これまた研究室として第1期の大学院生で半年間の病院研修に行かせていただきました。 病院も初めて受け入れてくださったご施設でした。

 あまり意識していなかったのですが、私どうやら新しいもの好きのようです(笑)

病院薬剤師

 大学院修了後、神戸大学医学部附属病院薬剤部に研修生としてご採用いただき、その後職員として採用していただきました。

 当初は薬物の血中濃度を測定して適正な投与量となるように投与計画を立て、医師に報告するといった業務と、研究業務を行っていました。

 その後、ICUの立ち上げを担当されていた先輩が他の大学病院へ交換留学されることとなり、急遽ICUに常駐する薬剤部担当となりました。 ICUでは、専用のシステムの導入が決まっておりましたが、運用しながら開発するスタンスであっため、オーダリング機能や薬物治療関係のシステムについて、薬剤師として仕様の設計などに携わりました。

 これが、薬剤師としてシステムや運用の立ち上げに関わった最初の経験です。 数年かけて運用やそれに合わせたシステムを構築しました。 いろいろなアイデアを出して、運用に沿った機能を盛り込んでええもんできたと思っておりました。

 しかし、数年後に確認してみると自身の中ではめっちゃ便利だった細かな機能が全く使われれおらず(存在すら認識されてなかった( ;∀;))、機能を使ってもらう難しさと、独りよがりのシステム開発の危うさを身に染みて感じました。

 その後、部署異動で薬剤師が新しく初めた抗がん剤の調製を行う部署、病棟で患者さんにお薬に関する説明をさせていただく部署などで活動していました。

 その後、がん専門薬剤師なる資格ができるとのお話があり、幸いにもその受験資格を満たしていたことから、第1回の認定試験に挑み、無事にがん専門薬剤師となることができました。

 また、合わせて3か月間のがん専門薬剤師研修事業が開始となり、国立がんセンター東病院(現 国立がん研究センター東病院)で研修させていただく機会を得ることができました。

 この研修で、現在もお世話になっております、当時の薬剤部長の遠藤一司先生にお世話になり、多くの仲間を得ることができました。 さらに、遠藤先生が中心となられて、がん治療に関わる学会の立ち上げるお話があり、立ち上げに携わらせていただきました。 結果、日本臨床腫瘍薬学会(JASPO)が設立され、昨年までは理事を務めさせて頂き、現在も広報出版委員会などのお手伝いをさせていただいております。

 研修から戻りますと、神戸大学大学院に腫瘍内科が誕生し、国立がんセンター東病院より南博信教授がご着任されました。また、薬剤部のあたらしい教授として平井みどり先生もご着任されました。 私は薬剤部の担当者として、院内の抗がん剤治療の整備や研修の受け入れなどの業務を進め、腫瘍センターの立ち上げのお仕事をさせていただきました。 

 その後、室長として電子カルテの更新や注射薬の払出をする機器の更新、抗がん剤治療に関する薬剤師の研修事業、新しい外来抗がん剤治療室の準備などを行っていましたが、新しい民間のがんセンターを立ち上げるので、手伝ってほしいと、当時の病院長や教授からお話を頂き神戸低侵襲がん医療センターに赴任しました。

 新設の病院の立ち上げということもあり、大学だけではなく多様な背景を持つ医師や看護師が集まっており、細かな運用などは大学とは異なる難しさがありました。 一方で、大学で一緒にお仕事させていただいた医師や素晴らしい仲間にも出会うことができとても刺激的でした。

 新しい病院には、倫理委員会や治験を受けるための組織がなかったため、当時の事務長や病院長に直談判し、治験臨床研究支援センターを同じ課題感を持つ元CRCの看護師さんと二人で立ち上げ、多施設共同試験などから実績を積んで、いくつかの治験を受託することができました。

 一方で違いを感じることも多くありました。 一例をあげると、大学病院では腫瘍センターでの役割としてすべての抗がん剤治療のレビューを行う会議を運営していましたので、あらゆる種類の抗がん剤治療について情報収集を評価することができていましたし、薬剤師として多様な患者さんに関わることができていました。 そのため、広範な情報が集まってきていたのですが、新しく赴任した病院では対応できる範囲も大学病院とは異なるため、最新の情報を得ることが徐々に難しくなってしまいました。

 やばい。 めっちゃ長くなってきた。。。。。。

薬剤師として感じていた課題感

 薬剤師として活動する中で、大きく二つの課題を感じていました。 一つは「ボランティアベースの活動は広がらない」、もう一つが「このままでは日本の医療レベルが保てない」です。

「ボランティアベースの活動は広がらない」

  私は、現在の医療の中でも特に進歩の早いがん治療の最前線で活動してきました。 がん治療の分野ではこの20年で多くの画期的な新薬が生まれ、新しい治療法が多くの患者さんにお届けできるようになってきました。 また、副作用に対する治療や予防方法なども進歩しうまく使えば以前と比べて楽に治療を受けていただけるようになりました。 

 抗がん剤治療では、副作用を軽くすることやうまく付き合うことが治療効果に大きな影響を与えるので非常に重要な意味を持ちます。
 そのため、抗がん剤治療に積極的な病院や専門病院では薬剤師や医師、看護師さんたちが多くの取り組みをなされていました。 多くの場合、自分の時間を使って資料を作ったり、患者さんのための時間を作ったり、連携のための調整をしたりしていました。 

 このような取り組みは、患者さんにとっては非常に大切なことですが、なかなか広げることが難しいという現実がありました。

  私自身も病院薬剤師として、学会に関わるものとしていろいろな取り組みを行いましたが、大切なことなのになかなか広げることができないというジレンマを抱えながら活動していました。  

 理由はいくつかありますが、患者層の違いと診療報酬上の評価がないことがあげられると思っております。

 抗がん剤治療を例に挙げると、患者数の多い病院(大学病院や専門病院など)では、何らかの取り組みを実施した場合に多くの患者さんに届けることができますが、抗がん剤治療が少ない病院や薬局では同じ取り組みを行ったとしても届けられる患者さんが限定的なため、業務の優先順位を考えると実施が難しい状況があります(患者層の違い)。

 また、病院においても薬局においても業務時間には限りがあり、業務の優先順位としては診療報酬上の評価がある業務や、調剤や通常の患者さんへの服薬指導が優先され、それ以外の業務に関しては取り組みにくい状況があることも理由の一つと考えています(診療報酬上の評価がない)。

 さらには、大学病院や専門病院にはいろいろなことにチャレンジしたいと考えて就職する薬剤師も多いと思いますので、そういった事も影響しているかもしれません。

「このままでは日本の医療レベルが保てない」

 私が専門としている抗がん剤治療の分野は特に顕著なのですが、医療の進歩により専門性が向上し、疾患や治療が細分化される傾向が強まっています。 いわゆる個別化医療やプレシジョンメディスンと呼ばれるように病気をかなり細かく分類できるようになり、結果として一つの治療を受ける患者さんが減少してきています。

 肺がんを例にとると薬物治療の選択を考える場合、昔はがん細胞の「小細胞肺がん」「非小細胞肺がん」という二つの分類で概ね対応可能でしたが、現在ではこれらの分類に加え、がん細胞の遺伝子的な特徴まで考慮する必要が出てきており、相対的に一つの治療法を受ける患者さんの総数は減少しています。

 一つの治療を受ける患者さんの数が減ると何か問題があるのでしょうか? めっちゃあります!

 単純に言うと、高度な専門性を持った医療者の育成が難しくなります。 一つの治療を受ける患者さんが多いと、多くの医療者がその治療を担当することにより、その治療への経験が蓄積し、より専門的な介入が可能になります。 しかし、患者数が減少すると医療者が十分な経験を積むことができないため、新しい薬に対する医療の質が担保が難しくなります。

 そのため、専門的な医療機関に対して患者さんを集約する方向で医療再編が進んでいます。 がん診療連携拠点病院などがその一例です。 結果、専門的な病院では高度なノウハウが蓄積されますが、人員は非常に限られています。 また、患者さんの生活を守る意味や医療費の削減の意味合いで多くの薬物治療が外来で行われるようになっています。

 結果として、地域医療の担い手が高度な治療を受けている患者さんに対しても適切な対処を行うことが重要となってきます。
 しかし、前述したように専門機関で作られたノウハウが地域で活用されているかというと、?といわざるを得ません。

 専門性の高い薬剤が今後増加していく中で、スペシャリストが作ったノウハウを地域で活用できる環境を整備しないと日本の医療の質を保ち続けることは難しいと考えています。

起業に至った理由

 ビジネスに感じた可能性

 大学病院に所属しているころからとある企業との共同研究を始めることができました。 お世話になっていた調剤薬局の先生にもご協力いただきながら、課題を解決するために試行錯誤しながらビジネスの視点での検討する目ることはとても楽しかったですし、ビジネスとして進めることにより広く使っていただくにはどうすればよいかを考えるようになりました。

 薬剤として感じていた課題を解決するためには、専門機関で作られたノウハウがを広く活用する仕組みをすべてのステークホルダーが幸せになる方法が必要です。  ビジネスとして成立させるしかない!

私がやらねば誰がやる!

 新しい病院で導入したシステムはいくつかの会社の製品を組み合わせて使用していたのですが、丁寧にニーズや作りたい運用をお伝えすることで課題を乗り越えることもできました。結果、新人薬剤師であっても一定の精度をもって業務を効率的に運用することができました。 一方で、最後まで関われなかったプロジェクトでは残念な結果となったこともありました。 実情に精通したものが最後まで関わることが重要です。

 これまで記したように、私は人生の多くのタイミングで新しいことを担当する機会をたくさん経験することができました。 新しいことを始めるためには経験が必要で、私が得ることができた経験を生かしたいとずっと思っておりました。 そして、新しいことにチャレンジしたいと(笑)

 私の友人や仲間には私以上に患者さんと向き合い、真摯に取り組む薬剤師はたくさんいました。  しかし、私のように新規の取り組みをたくさん経験した薬剤師はあまりいませんでした。 また、病院薬剤師としての十分な経験をもち、ビジネスの視点を持った薬剤師も非常に少ないと感じていました。

  結果、 私がやらねば誰がやる!! 

と起業し、現在システムの開発を進めております! 

ご興味をもっていただけましたらご連絡いただけますと嬉しいです(^^♪


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