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第20回 ガラスの天井をぶち破った近代日本最初の女性医師

荻野吟子(1851〜1913)

2023年の世界経済フォーラムで発表されたジェンダーギャップ指数,日本は世界146カ国中125位であった。世界主要7カ国中,圧倒的な低さである(前年度は116位で,9ランクダウン)。ジェンダーギャップ指数は男女格差を「政治」,「経済」,「健康」,「教育」で評価したものである。雑多な分け方ではあるが,日本は何においても男性主導であり女性は参画できていない(していない)ということになる。まあ,医者も圧倒的に男性が多いし,女医の大学病院での昇進って相当難しい…と私は去年ものすごーく痛感しました,ハイ。

現在でもこのような状態だから,荻野吟子先生の生き抜いた江戸時代末期〜大正時代なんて推して知るべし,か。

われら女医の大先輩である荻野吟子先生は医師国家資格をもった初めての女性医師である。彼女が医師を志すきっかけとなったのは,夫からの淋病感染である。淋病の診察・治療の際,患部を男性医師に見せなければいけない屈辱的な経験が彼女を突き動かしたのである。同じような羞恥心を女性に感じさせてはいけないと。

彼女は私立医学校・好寿院に入学を許可され,優秀な成績で卒業する。しかし,日本に女医がいないから,という理由で東京都の医術開業試験の願書を受け取ってもらえなかった。翌年も却下され,埼玉県にも願書を提出したが却下されていた。前例がないから願書を受け付けないという窮地に陥っている荻野先生に実業家 高島嘉右衛門が同情し,医制(医師法と医療制度のおおもと)を作り上げた長与専斎に彼女を紹介した。彼女は「前例がない」という理由を打破するために「奈良時代にも女医はいた」という史実を突き止め,試験を受けさせてほしいと請願した。また,軍医の石黒忠悳なども荻野先生に協力し,試験が受けられるように衛生局へ赴いている。こうした荻野先生の熱意と支援者によって,1884年に「女医公許」が決定し,ようやく試験を受けることができた。医術開業試験の前期・後期試験を無事突破して合格,3人受験した女性のなかで荻野先生1人が突破したとのことである。このとき,荻野先生すでに34歳,医師を志してからすでに15年経過してした。15年間ずっと頑張り続けるって並大抵のことではないと思う。分厚いガラスの天井を突き破った荻野先生,ただただ脱帽である。この後,この時代,彼女に続けと女性医師は増えたのだろうか? いや,増えていないよな,きっと。

私は今,勝手に想像している。荻野先生は医院を開業するより,私立医学校などを作り,そこで教鞭をとりながら医療を行ったほうが,彼女に憧れる女性が親を説き伏せてでも入学したのかも,なんて。

蛇足であるが,彼女の支援者の1人,高島嘉右衛門は実業家であるが,易断(占い)でも有名で,自分の死期なども予知していたそうだ。年末に見かける白い本『高島○○』の作者かと思いきや,残念ながら無関係らしい。

荻野先生は胸膜炎,脳血管障害などを発症して62歳でその生涯を閉じている。28年の医師人生であった。

※今回の画像はちょっと整形外科領域ではないです,ごめんなさい。

(『関節外科2024年 Vol.43 No.3』掲載)



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