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第21回 私の中には太陽が宿っている−戦争も政治も恋愛も全力投球:太陽王ルイ14世

フランス王 ルイ14世(1638〜1715)

フランスをテーマにした小説や漫画を見ていると17世紀のブルボン朝時代が多い。特にルイ14世の統治していた絶対王政の全盛期や,市民が立ち上がりフランス革命を起こすルイ16世の時代か。そういえば有名な『ベルサイユのバラ』はルイ15世の時代から革命前夜までの話だったよな。

ルイ14世はルイ13世と王妃アンヌ・ドートリッシュの息子であるが,結婚20数年後に初めて生まれた王子であった。ルイ13世はその後41歳という若さで崩御し,ルイ14世はわずか5歳で即位することになった。彼が23歳のとき,今までサポートしてくれていた宰相マザランが死去,その後はわが手で政治を振るうようになる。

彼は従来のブルボン朝のやり方と異なる2つの特色をもっていた。1つは王政を補佐する機関として最高国務会議を設けた(宰相の廃止)。もう1つは最高国務会議のメンバーは実力本位の官僚にしたことである。

有能な官僚を用いて合議するスタイルで貴族の力をそぎ,行政権を国王に集中させたわけである。彼は軍費と兵力をつぎ込みヨーロッパ1の軍隊を作り,イギリス,オランダ,デンマーク,スペインなどと数々の戦争を行った。この期間,なんと34年間である(これで後に財政破綻になる)。ちなみにルイ14世の親政は54年間である。

また,経済対策として商業に重きをおき,織物,陶器,ガラス,火薬などの国内生産の育成に力を注ぎ国力を高めた。

ルイ14世といえば,あとはベルサイユ宮殿の建築が挙げられるだろう。約20年の歳月を経てベルサイユ宮殿を造営,1682年に宮廷をパリからベルサイユへ移している。ルイ14世は噴水にこだわりがあったそう。ベルサイユ宮殿建築中に戦地へ行ってなければ頻繁に足を運び,気に入らなければ何度も作り直させたそうなので,気合いの入れ方がよくわかる。ちなみにベルサイユ宮殿はトイレが274個しかなかったそうだ(当時4,000人ほどベルサイユ宮殿に住んでいたのに)。汚物はそのまま庭に捨てられていたため,美しい庭園も糞便であふれ悪臭が漂っていたらしい。庭師が怒り「立ち入り禁止」の札を立てたが,最初は無視されていた。しかし,ルイ14世が立て札を守るように命令してからは皆守るようになったとのことである。「エチケット」ってフランス語で「立て札」という意味って今回初めて知りました。

晩年のルイ14世は家庭の不幸が続き,彼の嫡出子も次々と亡くなった。たくさんの愛人や本妻との間に子どもがたくさんいたのにもかかわらず,である。彼の子どもの死因はほとんど天然痘もしくは麻疹である。ルイ14世の死因は糖尿病および動脈閉塞が原因で左足の壊疽が起こったためとされる。

文献
1)イヴ=マリー・ベルセ 著.阿河雄二郎,嶋中博章,滝澤聡子 訳.真実のルイ14世.神話から歴史へ.京都:昭和堂;2008.

(『関節外科2024年 Vol.43 No.4』掲載)


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