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第22回 また病気は繰り返される:野口英世と梅毒

野口英世(1876〜1928年)

近年,梅毒感染者が急増している。コロナ禍が過ぎ,人の交流が増えたからなのか。日本全国軒並み増加,特に九州で多いとのこと。

この梅毒,コロンブスがカリブ海のサンサルバドル島(新大陸)から持ち込んだという説が有力である(1492年に新大陸発見)。1493年にはスペイン,1494年にはイタリアで流行し始めた。当時のヨーロッパでは敵対している国のせいでこの病気が広がったとして,イタリアやイギリスは「フランス病」,フランスは「ナポリ病」,ロシアは「ポーランド病」などとよんでいた。なんともいい加減なことである。

日本初の梅毒患者は1512年に大阪で見つかっている。マゼランが世界一周するより早く病気だけは日本に到達しているのがなんだかすごい。人間の本能の力といってもいいほどである。

日本への伝播ルートは中国の「明」から博多や堺の商人が感染したと推測される。初めは美男美女がかかる病ということで「モテる象徴」とされたが,徐々に恥ずべき事柄と認識されていくようになる。

病原体である梅毒トレポネーマが最初に発見されたのは1905年,シャウデインとホフマンによってである。梅毒の症状は第1〜4期まであり,症状が顕在化するまで非常に時間がかかる。このため無自覚に感染を広げてしまう。晩期症状である進行性麻痺・脊髄癆は当時梅毒との関連性がわからなかった。この患者の脳の組織から梅毒トレポネーマ(当時は梅毒スピロヘータという名前)を発見し,梅毒感染の晩期症状(生理疾患と精神疾患の同質性)を証明したのが野口英世である。野口英世はこの患者の脳のすべてを切片にして観察したという気の遠くなるような作業を行っている。

梅毒の治療はペニシリンが発見され実用化されるまでは,ほぼ不治の病であった。ユウソウボク,水銀,サルバルサン(ヒ素)などが治療薬として試みられていたが,副作用も大きかった。

ペニシリンが発見されたのは1928年にフレミングによってであった。1943年にマホニーによってペニシリンが梅毒の治療に効果的であると報告され,ようやく梅毒の治療が始まったのである。現在の梅毒患者はHIVと併発するケースも少なくない。この場合は一気に神経梅毒へ進むこともある。私が学生の頃,神経梅毒は(ペニシリンのおかげで)ほぼないといわれたものだが,今ではそんなこともないらしい。性行為感染症は何があっても絶対なくならないものなんだなぁと実感した。

野口英世は梅毒トレポネーマ(梅毒スピロヘータ)の純粋培養に成功したと1911年に発表したが,実際はうまくいってなかったらしい。梅毒トレポネーマは継代培養すると病原性が失われてしまうためである。そういえば,元をたどればこの梅毒,新大陸の風土病であった。この土地の住人は梅毒に対して十分な免疫がついており顕在化することなく,気付かれないまま世代を超えて受け継がれているそうだ。

文献
1)加藤茂孝. 第6回「梅毒」. コロンブスの土産, ペニシリンの恩恵. モダンメディア2016;62:173-83.

(『関節外科2024年 Vol.43 No.5』掲載)



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