【第26回】正直TKA,過去-12:TKA手技の歴史(今こそ原点を見直してみよう)
阪和第二泉北病院 阪和人工関節センター 総長
格谷義徳
黎明期におけるFreemanの貢献
TKAの基本的手技を確立したのは誰かご存じだろうか? 基本的な考え方や手技が確立されたのは,1960年代後半から1970年代初めにかけてである。この熱気にあふれたTKAの黎明期については,自身の体験とインタビューを基にしたMr. Robinsonの論文に詳しいので興味のある方は是非一読をお勧めする。
歴史的に言えば,今では金科玉条とされるMechanical alignmentや軟部組織バランスの概念を確立したのは他ならぬFreemanなのである(私の師匠だと思うとなんだか誇らしい)。同時にこんな“TKAの超大物”の所に,“何も知らない”だけでなく“THA surgeon”だと思って留学した自分を改めて恥ずかしく思う。
この分野でのFreemanの貢献については,TKA界のLegendの一人であるInsallも最大級の賛辞を贈っている。
“Although the Gunston polycentric prosthesis was the first cemented surface arthroplasty of the knee joint, the work of Freeman and colleagues has had an even greater influence on the direction of both prosthetic design and surgical technique”
“最初の表面置換型TKAはGunstonのpolycentric kneeではあるが,Freemanらの業績が以後のTKAデザイン及び手技,両方の方向性により大きな影響を与えた。”
他のどんな教科書や論文を見ても,彼の名前はTKAのパイオニアとして必ず出てくる。歴史をひもといてみると,TKAの基本的なデザインと手技を確立したのがFreemanであることは間違いなかろう。
Freeman-Swanson Knee Prosthesis
それでは最初のTKAデザイン及び手技の方向性とはどのようなものだったのか見てみよう。さまざまなデザインや手技が乱立して混迷を深めつつある現在,原点となる考え方を知っておくことには大きな意味がある。これについてはFreeman自身によるTotal Replacement of the Knee Using the Freeman-Swanson Knee Prosthesis. CORR94:153-17, 1973に詳しいので,それを見ていくことにしよう。
彼がその論文中でデザイン上の要件として挙げているのは,
上記を読み通して,皆さんはどのように感じられただろうか? ヒンジ型から脱却して表面置換型に移行しつつある時期の記載だから若干の違和感がないではない。特に可動域に関する要求度は低いし,PF関節に関してはその後フランジが追加され,Freeman自身も置換派に転向している。とはいえ,この最も古い(であろう)TKAのデザインコンセプトの大部分が現在でも当てはまる(そしてしばしば忘れられている)ものなのには驚かされる。とりわけLooseningと拘束性(incompletely constrained)の関係や,摩耗粉の産生とその生物学的影響に関しては,21世紀にも通じる慧眼であったといえるだろう。
デザイン的には,Freeman-Swanson型(こそ)が”Functional approach”の原型であることを改めて認識させられる。補足しておくと,Functional approachとは“こういう形でないとポリエチレンがもたない”という材料工学的見地からの設計である。その視点からFreeman-Swanson型を見てみると,解剖をばっさりと切り捨てた,潔ささえ感じるデザインである。もちろん,それが気に入らない(膝関節の形状はこうあるべきだ)というロマンチスト(?)もいるだろうし,それはそれで否定はしない。さまざまな感受性や意見があることはむしろ健全である。それでも膝関節を手持ちの材料(現実的にはごく限られている)で表面置換しようとするなら,材料の特性・耐久性から逆算してデザインが決まってくるのも道理(必然)である。機能の向上を追求するにしても,あくまでも材料学的な耐久性(耐摩耗性)を担保したうえで行うべきであるという原則を,このTKAの原点ともいえる論文を通じて,今一度肝に銘じておきたい。
(つづく)
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