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コンプレックスとの付き合い方

腹が相変わらずぽポコッとでているPOCOです
久々の投稿

人はみなコンプレックスを抱えて生きています。
少なからず、私にも人には一切言えないコンプレックスを抱えて生きています。

コンプレックス。、自身の体のこと、家族のこと、考え方や様々人によってそれぞれだと思います。
今回この記事を書こうと思ったきっかけにりゅうちぇるさんの死がありました。まずはご冥福をお祈り申し上げます。
あくまで私の思ったことを書くので、いやな気持になられた方は申し訳ないです。あくまで私の考えです。

人はそれぞれのコンプレックスと付き合っていると思います。
無い方はいない。もしくは潜在的にあるが、気づいていない人のどちらかのみです。

そこを他人に触れられた瞬間、あなたはどういった感情を抱きますか?
私は耐え難い感情に葛藤を抱きます。
時には精神的に疲労がたまっているときに触れられると、なぜ人と違う。それこそ死のうかな。。。と安直に考えている瞬間もある。
触れてきた人が消えればよいのに。。と考えることもあると思います。
こういった感情が自己をコントロールできないときに、暴力に走る。酒に走る。自殺に追い込まれる。
少なからず、上記までもいかないが、皆がいろいろな感情をコンプレックスを通して経験していると思います。

自身ほど周りの人は気にしていないことが多い。
それがコンプレックス。

それを声を大にして分かってほしいと訴える傾向に近年はある。
とくにLGBTの方々に多いような気がします。
私は間違っていると思う。それぞれのコンプレックスを克服しようとみな葛藤をしている。しかもそれがかなわない方がほとんど。

コンプレックスを受け入れてくれない世の中を変える!
多様性を認めろ?

私は自身のコンプレックスを人に知られたくもない。
克服もかなわないコンプレックス。
大半の人が私のコンプレックスに気づかない社会。
私は受け入れてくれる社会を望まないし、このコンプレックスと死ぬまで付き合う。

芸能界。我々と若干住む世界が違う界隈に「~界」と使われるが、角界、政界、芸能界。そこに住む彼らは我々の一般人から評価や対価をもらって成り立つ世界。

なかなか厳しい世界だと思う。そこでの武器をコンプレックスを見せることで地位を確立されている方々は、覚悟をもって勝負をされている方々。

見せ方を間違えるとたたかれる。しかも自身の弱みでもあるコンプレックス。
人はそこまで強い生き物ではないと思う。

コンプレックスとの付き合い方。
受け入れてくれる社会を作る。
全ての方々のコンプレックスに適合する社会なんて不可能と私は考える。
それぞれがそれぞれの形で持っているものだから。
私のコンプレックスだけがを受け入れてくれない。求めることが間違っている。
多様性を認めないのも多様性の一つ。

自身のコンプレックスとの付き合い方に他人やまわりの人は関係ない。自己だけの問題。
他人のコンプレックスに気づいたとき。いやな顔をしない。嫌がらせをしない。これこそが多様性を認める一歩だと私は思う。

そして人は他人のコンプレックスと知らず気づかず、土足のまま触れ、それを貶し、誹謗する。

触れられた時のいなし方を学ぶ。触れられないように振る舞う。これがゆわゆる社会経験と自信につながることだと私は思う。

そしてコンプレックスを生業にする。それだけはやめよ。人はそこまで強くない。


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