MEA体験記⑲~MEA後3年を経過して:情報を集めて自分で納得して治療法を選んで良かった
2022年の春で、私はMEA後、3年を経過しました。体調は良好です。
MEA前は不安に思っていたことがいくつかあったので、そのあたりのことを思いつくままに書いてみたいと思います。
子宮を失っても女性でなくなるとは思わない
子宮を温存したので、子宮体ガンのリスクは残っています。それは閉経まで我慢する「逃げ切り作戦」を実行しても同じでしょう。私自身は、子宮を全摘したからと言って「女性でなくなるという大きな喪失感でメンタルを病む」という感覚はありませんでした。
昭和の時代に「女性は子宮で考える」と言った人がいたように記憶していますが、女性は感情的で男性は理性的、という意味なのでしょうか。これも、「男子は理系、女子は文系」という論法と同列で、令和の時代にはなじまないような気がします。
卵巣が残れば、女性ホルモンは分泌されるので、体調面でも心配はないと考えています。
入院が短期で苦痛が少ないのが決め手だった
それよりも、“そこにあるはずの臓器を切除してしまったその後のリスク”のほうが心配だったのと、なにより入院で長時間家を空けたくなかったので、短期間で治療が完了できることが決め手で私は温存のMEAを選択しました。
その内臓の隙間を他の臓器が埋めてくれて、癒着や合併症などがないのであれば、逆に全摘の方が子宮体ガンのリスクがなくなるので、むしろスッキリするという方もいるかもしれません。私は親族に子宮系のガンを患った人がひとりもいないこともあり、リスクは低いと判断しました。
1980年代からの症例があるので心配することはやめました
しかし、焼灼した子宮内膜がどうなるのか?という点に関しては、少し前まで先進医療(2008年~)で2012年までは保険適用もされていなかったのですから、症例数は全摘に比べると少ないでしょう。そこが少し心配でした。
しかし、1980年代から海外では適用例が報告されていてイギリスでは開発以降、過多月経に対する子宮摘出術が1/3に減少しているそうです。(病院からいただいた資料より)。
また1980年代から海外では肝がんなどの治療にマイクロアブレーションが使われており、また近年も慶應義塾大学病院をはじめとする多くの病院で肝がん治療に採用されているという記事を目にします。
ライフサイクルのどの地点にいるかで治療法も変わる
過去40年にわたって、焼灼してきてその後がガン化しやすいなどというネガティブな情報は今のところはないようですので、現時点では心配いらないのかと理解しています。
そこでうまくいかなければ全摘はその後でもできると、今でも思っています。
その頃には、私は子育てもひと段落つき、仮に入院になっても3年前よりは落ち着いて向き合えると判断したからです。
女性はライフサイクルのどの地点にいるかによって、選択する治療法も変わってきて当然ではないかと思うのです。
MEAを開発した金岡先生は大阪・医誠会病院を退職されたそうです
3年目の定期検診を受けようと、医誠会病院のネット予約を入れようとしたら執刀医の金岡先生のお名前がありませんでした。病院に電話をして確認すると、昨年秋に退職されたそうです。定期検診については、別の先生が担当してくれるそうです。
現在、大阪の医誠会病院ではMEAは行っていないようですので、オペを検討されている方はご注意くださいね。