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女性放射線科医のリアルライフ~明日はどんなライフが待っている?|匿 名~

年間スケジュール

 コロナ禍より前の年間スケジュール(学会、勉強会など)とコロナ禍期間の1年間

4月 放射線学会総会参加、核医学会春季大会参加、放射線学会秋季大会準備
7月 放射線学会地方会参加
8~9月 夏休み調整
10月 放射線学会秋季大会参加
2月 放射線学会地方会参加毎月院内、および地域勉強会開催

 学会は単に聴講だけでなく、1年に1回はいずれかの学会での発表を心がけている。小さな地方病院からの発表には苦労も多いが、若い先生の発表の経験の一助になればと考えている。
 コロナ禍前でも後でも、学会活動は、ほぼ同じである。移動がなくなったことだけ変化した。遠隔地で開催される学会への移動がなく、非常にありがたい。しかし、お疲れ様会も、懇親会もなく、やはり寂しいものである。様々な先生方との学会会場での対面交流も、やはり重要である。若い先生にとっては、重要な就職活動の場でもあろう。

Q1.なぜ放射線科医を選択したのか?

A.学生時代、他科の実習で褒められた記憶がない、出来の悪い学生の私は、放射線科の実習中、左緊張性気胸の胸部単純撮影を見せられ、「右肺に何らかの理由により無気肺があって、右肺が膨らまないから、代償的に左肺が広がり、縦隔が偏位しているのかも知れない」とただ一人答え、教授に、「その考え方は素晴らしい。放射線科に向いているね」と褒められ、その気になって、放射線科を選んだ。この手法、学生や研修医の勧誘に使える。その学生がものになるかどうかは保証できないが、そんな私も、今では、緊張性気胸の診断はできるようにはなっている。

Q2.現在の医局に入局したきっかけ

A.母校の先生から、「日本の中で、天国のような放射線科がある」と聞き、母校を捨て、今の医局に決めた。留学もさせてもらえるというのも、魅力だった。母校の先生方は、出来の悪い学生が母校に残らないことを止めなかった。
 実際、今の医局は、本当に恵まれた環境であったし、自分の我儘を無理やり押し通しただけだったとも言えるが、若いうちに確かに留学させてももらえた。今後もその楽園が続いていくように、一医局員として仕事をさせていただいている。

Q3.AIへの対応

A.正直、ただCT、MR、RIの読影業務だけであれば、人工知能で充分代わり得るのは目前と考えている。
 しかし、IVRやコンサルトといった人との関わりあいを必要とする業務はまだまだ残る。そして、新たな仕事を作り出すこと、日々新たなことに挑戦していくこと、これらは、人工知能では代わり得ない、人間だけが可能なことだと感じている。教授に「若い先生にそれは言わないように」と止められた。勧誘には禁句か。同感してくれる前向きな若者もいてくれるに違いないと信じているが、勧誘する時には言わないようにしている。
 胸部単純を含めた一般撮影や、検診業務としての胃バリウム検査もまだ数年は続き、AIの対象になるには時間がかかると思われるが、これらの技術や読影指導は難しく、AIの力を早く借りたい気もする。

Q4.被ばくへの対応

A.患者さんの被ばくは、医療上必要最低限にすることを心がけるのはもちろんである。若い女性が神経質になるのも、ある意味仕方ないであろう。自分も妊娠前、妊娠中、不安がゼロだったとは言わない。根拠があってもなくても、不安は不安なのである。不安を感じる不安があるなら、避けられるのなら避けてもらうようにしている。
 そして、今は、自分自身の被ばくよりも、同じ医療従事者の被ばくを減らすことの方に、留意している。
 昔、心臓カテーテル検査中、管球のアームを跨ぎながら検査をしている女性の循環器医師をみて、あきれながら笑っていたが、今はとても申し訳なかったと思っている。放射線安全管理をする放射線科医師としての任務を果たしていなかったと。でもその先生も今や2児の母となっていると知り、ほっとしている。

Q5.仕事とプライベート (育児や家庭、趣味など)との両立

A.とにもかくにも、子供に対する教育方針は、一人で生きていく術を身に着けさせること、それを第一に考えていた。家の中での合理化は、どうしても不可欠で、妥協も必要である。保護者としての社会活動も、合理化が必要と感じるなら、文句を言うのではなく、自ら合理化に向けて動き出した。
 そして、子供たちが何とか自立するまでは、仕事をしたくてもセーブするのが今の仕事だと、自分に言い聞かせていた。幸運にも、独身時代にやりたいことはやった気がするため、自分としては欲張らずに済んだ。それでも、子供目線、夫目線では、最悪の母、妻であっただろう。今も。そんな私を見捨てずにいてくれる家族に感謝、感謝、感謝。
 仕事場の上司同僚目線でも、最悪だったに違いない。医局も一度は辞めたが、20年ぶりにもう一度戻ることを受け入れて下さった教授たちにも感謝。

Q6.美容事情

 普段、気にしていないが、名札の写真は、若い頃の写真を使いたくなる位には気にしている。読影中、バランスボールを使ってみたくなるが、その勇気はまだない。娘にも止められている。前回のこのシリーズの中で、同じことを考えて実行なさった先生がいらっしゃることに「我が意を得たり!」と喜んだが、「逆効果だった」と読んで、考え直してみている。仕方がないので、読影室に一人になった時には、椅子の上でストレッチをしながら、読影している。先日、立位前屈をしてみたら、楽々と指先が床につくではないか!いや、関節の変形で足が短くなったのかも。

Q7.どうやって勉強、または学会や研究会に参加しているか

A.小さな子供たちの前で両親が勉強する姿を見せることは、決して悪いことではなかったと考えている。ただし、子供から見ると、パソコンを前にしているだけだと、遊んでいるのと区別がつかない。印刷した英語の文献を手にしている方が、勉強している感があるようで、おとなしく自分たちも勉強していた。
 子供たちが自立するまでは、宿泊を伴う学会活動は遠慮し、日帰りのできる学会だけに絞り、1年に1回の発表も自分に課していた。自分の発表の聴衆になってもらったこともあった。
 現在、オンラインでの参加が不自由なくできる。この機会を逃さないように、せっせと参加したり、勉強会を開催している。また、自宅で巣ごもり中、原稿書きや、添削をしたりといそしんでいる。

Q8.放射線科医に向いているタイプは?

A.自己満足できる人だと思う。放射線科医は表立ってはだれから感謝されるわけでもなく、自分で「やったぜ」と密かに喜べる人が、放射線科医には向いている。そして、他人と違う視点からも、ものを視られると、なお一層良い。医師3年目になっても緊張性気胸が読めないと困るが。

Q9.キャリアアップについて

A.自分の満足のいく放射線科医の仕事をしていくためには、どこかでキャリアアップは必要になるし、必然的についてくる。そのためには、日々、様々なことに目を向け、一つずつ、解決するための努力が必要である。それは、医師として生涯必要なことでもある。
 子育てが一段落ついて、医局に戻ることができたのも、この姿勢を忘れなかったためと考えている。

Q10.やりがい

A.人の役に立つことをしていると信じて仕事を続けていくこと、そして、いつか自分も楽になるように、後進の先生を育てること、すべてやりがいのある仕事である。
 子育ても、やりがいのある仕事と信じている。いや、信じていたい。
 家事は…。

Q11.副業、起業について

A.院内の仕事だけでなく、医師会の仕事も引き受け、開業医の先生方との連携に役立てている。また、産業医の資格を取り、院内の産業医活動を行っている。院内の職員とのコミュニケーションは、放射線科医の日常の仕事にも役立っている。また、産業医兼放射線科医であればこその、医療従事者の放射線被ばく管理や職員健診の読影業務も、円滑に行うことができる。
 これらの仕事を将来そのまま使おうとは考えていない。65歳も過ぎたら、もっと違うことをして、他人の役に立ちたいものである。

Q12.若い人に向けて一言

A.この一言を言うようになるのは、年をとった証拠な気がして、気が引ける。でも、言えることは、今を精一杯楽しんで欲しい。そうすれば、いつかペースダウンが必要な時期が来たとしても、受け入れやすいかもしれない。今後、女性だから男性だからという考え方はなくなっていくに違いない。なくしていかなくてはならない。そのためにも、今できることを精一杯楽しむ。男女問わず、必要なことであろう。今を楽しむ笑顔を、後進の先生や子供たちに見せよう。

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