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教育について考えてきたこと。


こんばんは。
最近ゆっくりと本を読む時間が持てていなかったのですが、気になっていた「未来の学校のつくりかた」という書籍をようやく読めました。

この本は著者の税所篤快さんが日本の魅力溢れる教育現場を訪れて感じた2030年のあるべき学校教育の形について、実際に訪れた5つの教育現場から語られた本になっています。

ネットを中心とした多様な教育がなされているN高や、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県大槌町の教育復興の様子など様々な教育の形に触れる中で、自分自身が教育の重要性に初めて気づいた大学1年生の夏を思い返してみたこともあり、今回は教育への思いをつらつらと書き連ねます。


・教育の可能性

「教育」には可能性がある。

それに気付いたのは大学1年生の夏。インドを訪れた際のことでした。
(前回の「ケアとまちづくり、ときどきアート」の記事では本題から脱線しそうで触れられなかったのでここで思いを書きます。)


私は医療ボランティアという形で無医村地域に出向いて薬の提供をしたり、予防教育に携わったり、教育現場の見学をさせていただきました。

その際に感じたことは、我々ボランティアは医療を提供することはできても、ボランティアがいなくなればその地域には何も残らない、ということです。

その場しのぎの方法では、その地域に技術や知識が根付くのを遅らせることに他なりません。一時的なものではなく、持続可能な形でその地域に何か残そうと考えたときに、やはりその地域の人がいかにして地域づくりをしていくかを考えていかなければなりません。

しかし、違った背景を持ち、違った文化を生きてきた我々医療ボランティアがいきなり異国の地で地域づくり(医療の面で言えば、地域の健康づくりをするために、まずは予防などの健康教育をすること)を実践しましょうといきなり現地を訪れたところで現地の人がそれを受け入れていきなり実践してくれるなんてことは普通ありません。

そこである種の葛藤を覚えながら過ごしていたときに、ひとつの教育支援に出会ったことが教育の大きな可能性に気付いた原点となっています。


インドは現在もなお、十分な教育を受けられずに家族を助けるために働かねばならない子どもたちがたくさんいます。

その子どもたちが学校に通えるようになって、例えばそこで予防について知り、それを家庭に持ち帰って家族の中で共有する。
その家庭の中で予防が浸透し、その家庭から予防が地域に少しずつ伝わり広がっていく。

今の例では実際に見てきた医療の面から考えましたが、もちろん医療だけではありません。技術や知識など、子どもたちの学びが地域づくりに繋がるという可能性にその時気付きました。

「未来を担う子どもたちは大きな可能性を秘めている。
その子どもたちの可能性を引き出す教育にも大きな可能性がある。」


それに気付けたインドでの経験が、将来何かしらの形で教育に携わりたいという今の思いに繋がっています。

現在、日本には義務教育の制度が整ってはいるものの、本当に必要な教育が不十分であるようにも感じます。その一つに健康教育があります。性教育もその中の一つで、北欧などヨーロッパをはじめとする国では積極的に行われている一方で日本では未だにタブーのように扱われている現状があります。

これら教育の現状を変えるためにも、我々医療者が教育の場に携わる意義が大いにあると考えています。

例えば、小児科医が幼少期からの積極的な健康教育を行っていくことで、病気を抱える子どもが自身の病気についての理解を成長とともに深められ、成人科への移行をスムーズにできたり、病気とうまく付き合っていく環境を早期から作っていくことに繋がります。

私自身も教育を通じて、子どもたちが自分自身で健康を守っていけるような環境づくりと、子どもやその家族のヘルスリテラシーを高いていけるような仕組みづくりを考えていこうと思います。

そして、教育についてはまだまだ知らないことだらけなので本や人、旅との新たな出会いからたくさんの学びを得ていきたいと思います。
(この前は「教育格差」という本を紹介してもらったので、積読を徐々に消化して、手に取ってみます!)

今日もお付き合いいただきありがとうございました。
それでは。


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