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【口が裂けても言いたい話】「アニメーションの必然性」

映画「漁港の肉子ちゃん」をネットフリックスで鑑賞。直木賞作家・西加奈子の同名小説を吉本興業協力、明石家さんまプロデュースでアニメ映画化。木村拓哉・工藤静香の愛娘、cocomiが主演声優を務めたことでも話題となった。

東北の港町でたくましく生きる「肉子ちゃん」とその娘である喜久子を取り巻く個性的な人々の交流をユーモラスに描く。

明石家さんまプロデュースということで、公開前から何かと話題の絶えなかったこの映画。端役の声優陣など、そこはかとなく漂う「吉本臭」を我慢しなくてはならないのがとりあえず苦痛。焼肉屋なのに店名が「うをがし」になっていたりと、このあたりのチープな(陳腐な?)センスになじめるかどうかが本作を楽しめるかどうかの分かれ目ではないだろうか。

少なくとも、私にはなじめなかった。それと、大きな違和感がもうひとつ。

なぜ、アニメにしなければならなかったのだろうか。男にさんざん捨てられた肉子ちゃんの来歴と言い、およそ子供向きとは思えない。今さら「アニメ=子供向き」というつもりはないが、さりとて、西加奈子の世界観をわざわざアニメに押し込める必要もないのではないか。

何というか、安っぽい。肉子ちゃんの内面が発達障害のメタファーというのは、いささか深読みしすぎだろうか。

挿入歌の「イメージの詩」も絶賛されているようだが、吉田拓郎氏の原曲を知っている私としては違和感を禁じ得なかった。退廃的な王道のフォークはやはり、子供には似合わない。

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