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『病院薬剤師』として患者と生きる

病院薬剤師は、目立たず、感謝もされず、言うなれば日陰の仕事である。

しかし、私は病院薬剤師という仕事が大好きだ。仕事にプライドを持って臨んでいるし、患者さんを愛している。私の生き甲斐であり、生涯の仕事だ。

最近は病院薬剤師を主役にしたドラマが放映されているが、あれはあくまでもドラマである。私たちは医師から治療方針について相談を受けたり、治療法の変更を提案したりすることはあるが、あそこまでの圧は出さない。もちろん診断と治療方針の決定は医師の専売特許だからである。特になんの権限も持っていない、看護師のように処置もできない。それなのに大学は6年間も通わなくてはいけない。なんとも中途半端な職業、それが薬剤師なのである。


私はこれまでの薬剤師生活、ずっと病棟で活動をしてきた。その中で最も大切にしている軸は、『患者さんの人生を支える』ということである。

薬剤師ごときが何言ってんだ、と思われても仕方ない。入院したことのない人にとっては、薬剤師なんて”薬を渡してくれるだけの人”であり、なんなら、”具合が悪いのに病院で話したことを薬局というオープンスペースでまた話させる面倒なやつ”、くらいに思われているに違いないのだ。わかっていても、私にできるのは、担当患者さんのために一生懸命医師と交渉し、駆けずり回ることだけだ。それを誰に見られるでも感謝されるでもなく、コツコツ続けるしかない。


『緩和ケア病棟には移りたくない。』

担当患者のひとりが、こう言って泣いた。胃癌末期、腹水でお腹は膨れ上がり、息も苦しく、食事もままならない。体がだるく、1日のうち長い時間を寝て過ごしていた。私は当時、田舎の市立病院で消化器内科の担当だった。

その患者さん、仮に吉田さんとしよう。吉田さんは、車で2時間ほどかかる自宅からその病院へ通院していた。付き合いは1年ほどになる。1年の間に胃癌は少しずつ進行し、吉田さんを蝕んだ。はじめのうちは元気に仕事もしていたが、通院で会うたびに少しずつ痩せていった。ある時からは、栄養剤が処方されるようになった。食事が取れなくなってきたためだ。またある時には、医療用麻薬が導入された。麻薬の使用を開始するにあたって、吉田さんと面談をした。

吉田さんは、力仕事を長年していたためなのかとても我慢強い人で、入院中、抗がん剤の副作用で吐き気が出た時も、だるくなった時にも弱音を吐かなかった。奥さまのことをとても大事にされていて、奥様がお見舞いにきているときは必ず優しい笑顔で過ごされていた。

麻薬の話をするために会った吉田さんは、また一層痩せて小さくなっていた。ツヤツヤしていた張りのある筋肉は、すっかり消えてしまっていた。奥さまは、心配そうに吉田さんの手を握っていた。

『痛くて、あとお腹が苦しい』ポツリと吉田さんは呟いた。『栄養剤もあんまり飲めてないんだ』


ほどなくして、吉田さんは入院となった。そのお腹は、腹水でポッコリと膨らんでいた。顔色も悪く、胃癌が進行していることは見た目にも明らかだった。数日おきに腹水を抜き、痛み止めの調整を続けた。その間にも熱を出したり、食事が取れなかったりで、入院は数ヶ月に及んだ。奥さまは、自宅が遠いこともあって頻繁には来れなかった。自宅に帰りたがっていたので、主治医も私も薬の調整で努力したが、結局は腹水がコントロールできず、帰ることができなかった。

病床で、吉田さんは奥さまや仕事の話をよくしてくれるようになった。私は全ての担当患者さんに、『病棟で一番暇なのは薬剤師だから、何か話したいことや相談したいことがあったらいつでも話してね』と言っている。多くの患者さんは、最期が近くなると家族の話をする。吉田さんに子供がいることは、この時期に初めて知った。吉田さんは寂しさからか、私を呼ぶことが多くなった。訪ねると寝ていることも多かったが、そういう時には来たことがわかるように、置き手紙をして帰った。置き手紙があると、『来てくれたんだね』と安心できるようだった。精神的な苦痛が、身体的な痛みに変わることもある。心を支えるのは重要なことだ。

いよいよ呼吸の苦しさが強くなってきたので、消化器内科の病棟から隣の緩和ケアの病棟へ移ってはどうか?という話が、本人と家族にされた。緩和ケア病棟では個室になるため、家族が付き添うことも、好きな音楽を流したりすることもできる。私も含め、医療スタッフは吉田さんに緩和ケア病棟を勧めた。しかし、吉田さんはなかなか『行く』とは言わなかった。

吉田さんのベッドサイドで、私は聞いた。

『緩和ケア病棟だと、奥さんも泊まれるから周りに気兼ねしないでいっぱい話せるし、吉田さんの好きなビートルズも流せるよ?ここのままでいいのかい?』

吉田さんは言った。

『向こう行ったら、アユム先生来てくれなくなるしょ。だから緩和ケアは行きたくない。ここにいる』

『隣だし、これまで通り私も毎日会いに行くよ。』そう伝えたところ、その夜から吉田さんは緩和ケア病棟へ移動することになった。最期まで自分でトイレに行き、奥さまとお話をし、私にも少し笑顔を見せてくれた。本当に強い人だった。ある日曜日、勤務があったので病室を覗くと、4人のお孫さんに囲まれて嬉しそうにしていた。その翌日、出勤するとカルテから名前が消えていた。


患者さんひとりひとりの人生において、病院という場所は、いわば通過地点。日々の生活、長い人生を支えていくのは薬である。薬は、ただ飲めばいいというものではない。患者さんの性格や生活スタイルに合ったものでなくては続けられない。納得して薬を飲むほうが、治療成績も良くなる。そのために、私は患者さんと話す時間を大切にする。家族のように大切に想って接する。良くなれば一緒に喜び、良くならなければ悩みに寄り添い、亡くなれば涙することもある。

薬剤師として患者さんにできることは、多くないかもしれない。これからもずっと、目立たないままだろう。役に立たない仕事、将来AIに取られる仕事と言われることもある。同じ薬剤師からも、ただ薬の説明をしていればいいのにと言われたり、そこまで人生に踏み込むことないのにと言われることもある。

それでも私は、病院薬剤師として、これからも患者と生きていく。薬を通して、長い人生を支えるために。

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