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コミュニケーションの原点は「双方向」 ー“不確実”な医療情報を、われわれはどう理解し、共有すべきか(2019年冬号より)

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医療現場では、とかく“伝わらない”ことが課題となる。
その原因は、医療者と患者の間においては専門知識の差、医師や看護師といった多職種の間においてはひとつの事象を捉える思考フレームの違いであると言われたりする。医療や健康にかかわる情報を、私たちはいかに理解し、伝えればよいのか。「ヘルスコミュニケーション」の研究に携わる中山健夫氏に伺った。
お話・中山健夫氏(京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻健康情報学)

医療情報が広がる3つの次元

公衆衛生、疫学を専門とする中山氏が研究しているのは、研究成果が臨床へ活用され、患者がよくなり、地域がよくなり、最終的に社会全体が健康になるためのコミュニケーションのあり方だ。「よい情報が得られても、研究者のところに留まっているのでは意味がありません。情報を広げていくコミュニケーションは、患者・地域・社会をよくする方策のひとつです」と話す。

情報が伝わる範囲にはミクロ、メゾ、マクロの3つの次元があるという。ミクロは対人レベル、マクロは社会レベル。マスメディアやがん患者・家族の声を受けて成立した「がん対策基本法」はマクロレベルにあたる。そして中間のメゾレベルは、ある程度顔が見える限られた範囲を指し、地域や組織が当てはまる(図1)。

図1

その“メゾ”にあたる病院広報が最近やっと盛り上がってきたと感じているという。「患者さんが病院広報に触れることでその病院が地域で果たしている役割を知り、病院を選ぶ手がかりにできます。ミクロとマクロ、それらをつなぐ要になるメゾ、すべてが揃って安全性と信頼性の高い医療情報になります」。

“不確実性”を孕むエビデンス

現代では社会のあらゆるところに医療・健康情報が溢れているが、医学研究によってつくられるエビデンスと巷の健康に関する情報が異なるものであることは、医療関係者であれば皆実感しているだろう。
「動物実験でわかったことが、そのままヒトに当てはまるかといえば、そうはいきません。実験動物は遺伝的に制御され、均質な性質を持っているし、実験環境では生活リズムや食事もコントロールされています。多様なライフスタイルを持つ人間とは、まったく異なる生き方をしているのです。もちろん、医学研究により疾患の機序が明らかになったり、何らかの傾向がわかることは非常に重要な成果です。しかし、それは絶対ヒトに適用できるかというと、そうではない。薬であれば効く人・効かない人がいる、時に副作用が出るのも避けられないということが十分に伝えられていません」。


医学研究により得られたエビデンスは、一定の不確実性を孕んでいる。しかし、“わかりやすく”加工された健康情報を受け取る側の多くは、医学研究の成果に不確実性があるとは考えないことが多い。

情報は“意思決定”のための道具

そこで重要なのが医療情報の伝え方・使い方だ。「エビデンスはきちんと人間相手に『つくる』、使う側の立場・価値観を考慮しエビデンスを『伝える』、そして、その価値観にあわせて『使う』ことが重要」だと中山氏はいう。
価値観が強調される背景には、社会の変化がある。社会が成熟したことで、“皆がよいと思う”ではなく、“自分がどうありたいか”が重視されるようになった。

「個々の価値観が重視されるようになったことで、情報は“自分が納得できる意思決定”のために使われるようになりました。だから私たち医療者は、質のいい情報を伝えるだけではだめ。相手の意思決定にどうかかわっていくかまで考える必要があります」。
ここでキーワードになるのが、Shared Decision Making(SDM)だと中山氏は続ける。「共有意思決定」とも訳されるこの考え方は、医療者と患者が情報・エビデンスを共有して一緒に治療方針を決定するというコミュニケーションだ。
「エビデンスには不確実性がありますが、治療を進めるには意志決定が必要です。目の前の患者さんと医療者がエビデンスを共有し、そのうえでどんな風に生きたいか、どんな社会的役割を持っているのか、希望は何なのかといったことを共有するプロセスが必要なのです」。

“着地点が見えないコミュニケーション”の時代

SDMは、海外ではすでに医療コミュニケーション研究の主流になっているが、日本での歴史はまだ浅い。日本では医療者が治療法を決定するパターナリズムの時代を経て、患者が医師の考えの説明を受けて同意するインフォームド・コンセントの時代に、そして今、徐々にSDMの時代に移行している。中山氏は「インフォームド・コンセントは、医療者がいくつかの着地点(治療選択肢・方針)を示すのに対して、SDMは医療者と患者でともに着地点を探る」と説明する(図2)。

図2

「例えば乳がんの治療では、拡大乳房切除、縮小手術という選択肢があります。前立腺がんの治療だと主な選択肢は5つもある。選択肢が多いことは生活においては豊かさになりますが、医療では着地点がわからないということです。SDMにより患者さんの価値観を理解することで、おのずと取るべき選択が見えてきます」。ここで重要なのは、SDMを進めるとき、その結論、“着地点”は“見えていない”ということだ。


医療においては、期待を捨てないとならないときもある。確実性の高い方法でもその患者には適用できないときがあるし、患者は完治を期待しても、後遺症が残ることもある。医療が進歩しているからこそ、患者がこうした情報に向き合わざるをえないこともある。このとき、医療者の経験や考え方だけで患者の納得を引き出すことは難しい。このような状況で“見えない着地点をともに探すコミュニケーション”を図ることは、患者の意思決定を助けることになる。こうして得られた決定の責任は、医療者と患者が“シェアする”こととなる。
「患者さんの個別性を理解するプロセスを経るなかで、患者-医療者間の人間関係が醸成されます。そこから責任をシェアする関係性が生まれるのです」。


もちろん、SDMと意識せずに以前からこういったコミュニケーションを実践している医療者は多くいると中山氏はいう。
「医療者としてベストを尽くして経験を積む。でも自分の経験や考え方だけでなく、一般論であるエビデンスを踏まえ、さらには患者さんの価値観も理解し、大切に考える。ここに重きを置いている医療者はすでにいらっしゃいます。言葉が追い付いてきたというところでしょう」。

医療者は「わからない」と言っていい

SDMを実践すると、「医療には不確実なことがある」「わからないことも多い」と患者に伝えることになる。ここに躊躇する医療者は少なくないだろう。
「患者さんに対して“私はわかりません”と言ったら、患者さんを不安にさせます。けれど、医療者が“わからない”と言ってはいけないということではありません。ここまではわかっている、ここはまだ十分にわかっていない、と区分けをして伝ることができるのは専門家でなければできません。多くのことを知っているからこそ、何がわからないかも知っていると伝えればいいのです」。
医療者に限らず、人は誰でも「自分が伝える」「伝えて相手を動かす」と自分主体で考えようとしがちだ。しかし、「伝える」という一方通行の考え方はコミュニケーションとはいえない。「“わからない”からこそ、患者さんの話を聞き、ともに考える姿勢が大切」だと中山氏は繰り返す。

ナラティブとエビデンスは表裏一体

意思決定をするとき、医療者自身の経験とエビデンスという情報は非常に重要だ。そのため、NBM(Narrative Based Medicine)は、EBMと相対する概念だと表現されることもある。しかし「むしろ表裏一体の関係」だと中山氏はいう。
「ナラティブは患者さんとその方の身に起きた病気という出来事に焦点を当てています。そこに一般論であるエビデンスを補うことで、医療者の考え方が柔軟になり、よりよい意志決定を助けます。医療におけるコミュニケーションでは両者を統合することに意味があるのです」。


中山氏は、日頃から患者団体などとも議論を交わしている。患者と医療者の間での望ましいコミュニケーションについて話し合ったとき、こんなやりとりがあったという。
「そのときは、『患者の語りで医療が変わる』というテーマを出しました。これを見た患者さんたちが“これは違う、『患者の語りが医療を変える』だ”とおっしゃいました。なるほど、これが病気という出来事の真っただ中にいる患者さんの思いなんだと、ハッとしました。同時に、つい自分目線の発信をしていたと改めて実感しました。その後、意見交換を進め、『患者と医療者が医療を変える』になりました。これはコミュニケーションの大きなゴールを教えてくれます。どちらかではなくて、どちらも。コミュニケーションのゴールは“共創”していくものなのです」。


今後、よりよい医療コミュニケーションが広がるには、教育現場での取り組みも欠かせない。
「今、コミュニケーションは医学教育のコアカリキュラムに組み込まれています。ただ、そこに血が通っていなければ社会全体を健康にするという目標までは到達できません。魂を入れた教育にしていきたいと考えています」と中山氏は強く頷く。

プロフィール

中山健夫氏(Takeo Nakayama, MD, PhD)
京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻健康情報学教授
1987年東京医科歯科大学医学部卒業。1989〜1999年まで東京医科歯科大学難治疾患研究所疫学部門にて助手を務める。その間、1998〜1999年に渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校公衆衛生学にてポストドクトラル・フェロー。1999〜2000年国立がんセンター研究所がん情報研究部室長、2000〜2006年4月まで京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻医療システム情報学(現健康情報学)分野助教授、同年5月より京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻健康情報学分野教授、2016年6月より同副研究科長・専攻長。医学・看護学のほか、情報学、心理学なども研究フィールドとし、健康情報の伝達・コミュニケーションの研究に従事している。

この記事の初出:『メディカルコミュニケーション 2019年冬号』(2019/1/15発行)より

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