【何度聞いても心地が良い作品】何度も見た作品を教えて[ペアMTG お米×ぴょんす]
本記事は「何度も見た作品を教えて」というテーマに対して
お米とぴょんすがペアMTGを行い、それで得た発見や感想をまとめたものです。
テーマ設定の背景や目的を先に読んでいただけるとより楽しめると思います。
作品「花」(瀧廉太郎)を何度も聞きたくなる
中学時代に音楽の授業で聴いた、瀧廉太郎作曲「花」を私は何度も聞きたくなる。曲の出だしである「春のうららの〜」というフレーズを聞けば、どんな曲か思い浮かぶ人も少なくないと思う。
私は数ヶ月に一回、勉強をしている時や何もすることがなく暇を持て余している時に、何の前触れもなく突発的にこの曲を聴きたくなる。そして、聴くたびに、明るくリラックスした気分になる。
何度も聞きたくなる理由
なぜこの作品を何度も聞きたくなるのか。この作品に初めて聴いた時からのプラスの印象が染み付いているからだと私は考える。
初めてこの曲を聴いたのは中学校の音楽の授業だった。記憶では秋の昼下がりで暖かく、窓から日差しが差し込んでいて、非常に心地の良い情景だった。それからいつも思い浮かべるのは基本的に同じ情景で、それらの情景がいつも私を明るい気分にしてくれる。
しかし、思い浮かべる情景が私に高揚感を与えるとすれば、この曲でなくても良かったのかもしれない。曲の内容というよりは、曲に付随する情報が私にとっての付加価値となり、大きな意味を成しているようだ。
懐メロとの違い
聴いて中学時代の懐かしさを感じる、という点では、懐メロに近い。偶然この曲を街中で耳にした時に何となく懐かしく感じ、家に帰ってからもう一度聞き直したくなる懐メロの感覚だ。
確かに、私にとって「花」も初めはそのような立ち位置だったのかもしれない。だが、中学から何年も生きてきた中で、事あるごとに聞き返していると、「街中で耳にする」のような誘因がなくても、自分からふと聞きたくなるようになった。これが懐メロとの違いだろう。
何度も作品に触れることでその作品はその人に溶け込むように思う。聴けば聴くほど作品に愛着が湧いていく。
何のヒントもないところからこの曲が思い浮かぶほどに、「自分の曲」になった「花」。もし中学当時に先生が流したのが別の曲なら今は何を聴いているのだろうと思いを馳せながら、今日も「花」を聴いてリラックスしている。
相手の記事を読んだ感想
「何度も聞く曲」というテーマで話したが、曲自体が好きで何度も聞く私にとって、曲に付随する記憶が大きな意味をなしている点で真逆の価値観であり、新鮮だった。懐メロと何度も聞きたくなる曲の違いについては非常に興味深く、なるほどと思わされた。初めて話したが、話の深掘りを丁寧にしてくれて話が盛り上がり楽しかった。
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