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【読書】今村翔吾(著)『塞王の楯』「第四章 湖上の城」〜大津城とコンスタンティノープルの違い〜

今村翔吾(著)『塞王の楯』の「第四章 湖上の城」を読んでいて、塩野七生(著)『コンスタンティノープルの陥落』を思い出しました。

『塞王の楯』の舞台となる大津城は、本丸が琵琶湖に突き出るようになっており、琵琶湖とは反対側の方に内堀、中堀、外堀を掘っていました。コンスタンティノープルは、三角形の形をしており、2辺が海に面していて、半島の様になっています。そして海に面している辺も含めて、全方面を高い壁で囲っていました。

何も水を利用した要塞な訳ですが、日本のお城の殆どは、大津城のように堀を深く掘って石垣を高く積んだ上に、天守閣や櫓を建てました。それに対して西洋のお城は、壁を高く作って敵からの攻撃に備えました。

織田信長が「長篠の戦」で鉄砲を大量に使用して、武田軍に勝利をしたのは有名な話で、1575年のことでした。その後、1600年の「関ヶ原の戦」のとき、立花宗茂が大津城遠攻めるときに大砲を使用しました。戦の武器は弓矢や槍から鉄砲へ、そして大砲へと移り変わっていったのです。そして1615年には「大坂夏の陣」で、徳川家康がやはり大砲を使って、難攻不落といわれた大坂城を陥落させます。結果的に大砲という武器が、戦国時代を終わらせたと言えます。

コンスタンティノープルの陥落は1453年です。この時にオスマン帝国は、大砲を使ったといわれています。日本よりも150年も前に、大砲を使っていたということになります。

そして現代では戦の武器は、空爆やミサイルへと移り変わり、もはや石垣や壁は何の役にも立たなくなりました。
しかも軍事拠点だけでなく、市民が暮らす住宅や学校、病院までも破壊しています。そんな映像をドラマや映画でなく、現実に起こっているものをみると、人間は何をやっているんだろうと、馬鹿らしくなってくるのです。


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