見出し画像

【読書】今村翔吾(著)『茜唄(下)』を読みながら考えること。

本来、戦にはルールなんてものはなく、モラルなんてものも存在しません。
どんなに残虐な行為が行われても、相手の命をたくさん奪った方が勝利者になります。そして勝利者が戦の後の実権を握ることができ、負けた方は一方的に裁かれます。
気が付けば、負けた方が加害者となり、勝った方が被害者となっていることもあります。

歴史小説というのは、基本的には史実を元にしたフィクションです。古典文学である『平家物語』も、フィクションがかなり含まれている筈なのですが、史実とフィクションの境目がどこなのか、今となっては誰にもわかりません。
源氏と平氏が一ノ谷で戦ったというのは史実であっても、その時に源義経はどんな気持ちあったかとか、平知盛と平教経がどんな会話をしたかなんていうのは、想像の世界でしかありません。

小説という想像の世界が、史実の様に変わっていくことがあります。
勝者側の人間が全て善で、敗者側の人間が全て悪とは限りません。
命を惜しまずに戦った者は英雄で、逃げた者は悪役の様に描かれます。
悪役にも守るべき家族がいて、簡単に死ぬ訳にはいかないこともある筈ですが、戦になれば家族を守ることの優先順位は下がります。

歴史小説を読んでいる合間に、ネットやテレビを見ると、リアルに起こっている戦争の映像が流れてきます。
そう言う映像を見ると、800年前と人間はあまり変わっていないんだなと、感じます。いや、もっと酷くなっているのかもしれません。
今の戦争が、800年後にはどの様に描かれるのでしょうか。
それは、誰が勝者になっているかによって、変わってくるのだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?