論語と算盤(3)常識人として備える知情意
論語と算盤は、大正時代に書かれた本ですが、令和の今こそ読むべきだと話をしています。原書は、文語体に近く読むのに苦労しますが、今、出版されているものは、現代訳になっているので、読みやすくなっています。
ただ、それ以上に、今を生きる我々が読んでもその内容に古さを感じないのは、おそらく、普遍的であり、本質を語っているのだと感じています。
本編は全部で10章から成り立っています。まずは、経営者の方とお話しする際に良く出てくる「知情意」(第3章「常識と習慣」)のお話しを取り上げてみたいと思います。
この本では、「常識はどんな地位にいる者にも必要だ」としながら、「知情意」について解説しています。
「知(恵)」物事の善悪や是非の識別ができる。利害や得失の判断ができる。
「情(愛)」知の能力を十分に発揮させるために必要な機能。行動に繋げる。
「意(志)」情に流されないようにするために必要だが、意志だけが強いと頑固者になる。
最後に、「強固な意志の上に、聡明な知恵が加味され、情愛がこれを調節する」と結んでいます。とても考えさせられる一文ですが、自分を振り返るにはとても分かりやすい三要素といえますね。
特に経営者の方は、このバランスの重要性になぞらえて、ご自身のお話しをされる場面がとても多いです。
ちなみに、渋沢栄一は、徳川家康を「権謀家」としての評価をしつつ、大きな目的には違いがあるとして、私利私欲ではなく、「国家や社会に尽くしたい」とこの本で述べています。
江戸中期より広まった論語を端とする朱子学が広まったことについても、朱子学が「知」を弊害として扱っていたこと(人を裏切ったり、だましたりすると考えていた?)に強い危機感を抱き、正しく「知」を使うべきだと主張しています。(朱子学が統治する立場に都合が良い学問だったのでしょうか?)
だからこそ、渋沢栄一は「道徳と経済」を結び付けることでの、正しい「知情意」で国の繁栄を願ったのでしょう。
ちなみに、「知情意」の3要素は、古くは、プラトンの哲学的思考である「真善美」のイデアにもつながるのでは?と考えます。洋の東西を問わず、本質は似てくるものなんでしょうね。
「知」 「真」 認識上の真理(世の物事をきちんと知る)
「情」 「美」 審美上の美(美しいもの→考えに人は動かされる)
「意」 「善」 倫理上の善(行動する上で、善きこと行う)
と結び付けるのは、やや強引でしょうか。。。