見出し画像

自己紹介(その3)

 皆様おはこんばんちは。そして,お疲れ様です。

 最近,流体力学を再度学び直した記事を主にかいています。
 ここでは,流体力学の記事を書くわけではなく,「自己紹介」をしたいと思います。

(3)第3章 高専時代(専攻科まで)~大学院時代まで

(3-1)このときの経験が記事を書く原動力になったかもしれない高専専攻科時代

 高専本科を無事卒業し,高専専攻科へ進学を決めました。ここで,専攻科とは?と思う方がいると思いますので,少し解説させていただきます。

 まず,専攻科とはいわゆる「大学の3・4年生の課程」と同様の扱いをする教育課程であり,卒業すると大学卒業と同様の力,いわゆる「学士」の称号が得られます(近年は異なりますが,学位授与機構に口頭試問などの試験を経て学士を取得するので,必ず取得できるわけではありません)。高専本科の卒業では,いわゆる「準学士」となり,この称号は日本国内のみに認められるものなので,短大卒業と同様の扱いとなります。

 そのため,更に学歴を付けるために高専から大学へ編入学することを目的にするケースもあり,高専の創設後から年々その人数が増加していく傾向がありました。その中で,約30~40年前に高専の編入学に特化した大学の創設(長岡・豊橋の2カ所にあります)や専攻科の創設がなされました。したがって,高専からの大学編入学以外にも専攻科を卒業して就職することも可能ですが,「大学院へ進学」をするという選択も可能なのです。
 加えて,「単位認定」の点でも有利になります。編入学の場合は,単位互換の関係から認められる単位が大学により異なります。そのため,最悪の場合は「大学3年ではなく2年生へ強制的に編入学させられる」ケースや「大学3年生に編入学ができても学校のカリキュラムの関係で単位認定が認められず,留年が確定してしまう」ケースもあるようです。しかし,学士の称号を取得できた場合は,その課程を修了していることになるので,単位互換の問題はすべてなくなることが最大のメリットです。

 実は専攻科進学時点で,筆者は「大学院への進学」を考えていました。この進学を機に高専5年次に所属していた研究室を変更し,新規一転して専攻科へのぞみました。ここでは,良かった点と悪かった点をそれぞれ2点ずつ書いていきます。但し,ここに記載することはあくまでも筆者の個人的な経験に基づくものであることを予め断っておきます。
 
 まずは良かった点から解説しましょう。

 1点目は,「2段階学科選択」の恩恵を受けたことです。このときは,高専1年生のときに考えていたことが180°変わるとは思っていませんでした。その理由は,高専1年次のクラスメイトの専攻科進学率が「高かった」ためです。
 基本的には,学科選択が確定するとよほど仲が良い,あるいは部活動が同じなどの理由がない限り,他学科の学生とは関係が希薄になりがちなのです。そんな中,専攻科進学を機に約5年ぶりに当時のクラスメイトと再会し,5年のブランクなどあったのかと感じるくらい「普通の会話」ができたのです。そして,講義でもお互いに助け合うことができたのです。これがとても筆者にとってはありがたいと感じ,今までの2段階学科選択制度に対する考え方が変わった瞬間でした。

 2点目は,「本当の自学自習」を身に付けられる機会を得られたことです。これは,大学院へ入学するための試験勉強準備で得られたものです。専攻科入学以前も自分なりの自学自習はやってきており,同じ学科・専攻科の学生からの評価もよかったため,ある程度の勉強方法については間違っていないと思っていました。しかし,とあることがきっかけにこの考えは脆くも崩れ去ることになります。
 高専専攻科から高専本科で所属していた研究室を離れ,新たな研究室に所属した時に事件が起きました。ここで注意なのが,元の研究室にいた先生と仲が悪くなった訳でも,新しく所属する先生と問題があった訳でもありません。その内容は,新しく所属する先生のご厚意で発生したものです。その先生から「大学院へ行くなら機械工学のゼミでもやろうか?」とのお誘いがあったのです。筆者自身は「是非お願いします」と喜んで,「材料力学」のゼミが始まりました。このゼミではとある大学の演習書を用いて,主に筆者が解いてきた結果をホワイトボードに書いていき,それを先生が質問していくような形式でした。
 ところが,筆者自身も凄く驚いたのは「まったくできない」のです。今までの勉強してきたものは何だったのかと思うほどで,根底から勉強の仕方を見直す必要がありました。このときほど,図書館に通い詰めたことはありませんでした。なぜ通ったかというと,演習問題の「解答」を探していていたのです。あまりに分からず手が付けられない状態だったので,このような行為に出ていたのです。もちろん,書き写していてゼミに臨むこともありました。そして,先生の指摘で解き方を修正しては,また書いていくことを繰り返していました。このときに筆者が感じていたのは,「解説には必要な考え方が載っていないことが多々ある」ことを知ったのです。いわゆる教科書の「行間を読む」,「当たり前すぎて書くものでもない」ことを知らないと読み進められないのです。試行錯誤をしながら,少しずつ実力をつけていきました。結果として,大学院へは「推薦制度」を利用したので機械工学の筆記試験はなかったのですが,この経験が今の筆者の根底を支えているものです。
 これを知った頃から,筆者は何かしらでこの思いを発信したいと思いましたが,なかなか発信する場も方法も思いつかなかったのです(最近まで,SNSをやったことすらない筆者にとってはどこで発信できるの?というレベルです)。

画像1

 では,次に悪かった点を解説しましょう。

 1点目は,「学生のモチベーションが低下しがち」であることです。これは,環境が変化しないことによるものと筆者は考えており,これが「利点」ともなり得るが,「欠点」にもなり得るという「表裏一体」と思っていますが,ネガティブの面が出やすい傾向にあると思っています。利点として考えられることは,「環境が変わらない」ことです。これは言い換えれば,同じ高専で,同じ学生同士で,同じ講義を受け,同じ生活パターンを崩さないで学業・研究活動・その他の活動に打ち込めるのです。つまり,「目標・目的が明確である」ことが何よりも重要になるのですが,同じ環境だとモチベーションの維持がかなり大変なのです。筆者はたまたま「大学院進学」という明確な目的をもって専攻科へ進学したので,ネガの面はあまり出ずに修了出来ましたが,他の専攻科生を見ても大学院進学をあきらめて就職した方々を見てきました。最終的に大学院へ進学した人数は数十人いる内,筆者を含めわずか4人でした。
 なぜこのようなことが起きるかの理由ですが,「本科より簡単だから」です。ここで注意しなければならないのが,講義のレベルが低い訳でも,研究活動の質が落ちる訳でもないのです。しかし,専攻科生は高専に5年間もいる学生です。考えることは「如何にして楽をするか」に全力を注ぐのです。大学に在学していた方はお分かりだと思いますが,試験対策はいわゆる「過去問の収集」から始まります。その対策を完璧にして,見かけ上の高成績を獲得していきます。高専の試験対策も大学の試験対策とあまり変わらないため,ある意味で対策に「馴れている」のです。これは研究活動でも同様なのです。明確に論文・発表論文を提出という目的がないと「先生へ怒られない程度のギリギリをつく」のです。したがって,「本科より簡単」というより「本科よりモチベーションが下がった結果,本科よりも修了できるギリギリを目指すようになる」ということです。

画像2


 2点目は,「大学院への進学のための情報収集は自分でやらなければならない」ことです。すなわち,「情弱(情報弱者の意味)」になりやすいのです。これを解消するための唯一の対策は,研究室の見学・インターンをお願いするしかないのです。結局,筆者は進学先の調査不足・研究室の見学不足から他大学との比較がきちんとできずに大学院進学を決めたのです。これがまさかの事態を引き起こすとは…。

 以上のことから,筆者がnoteでの記事を書くきっかけと土台を作った期間でもありました。しかし,自分の一生を左右する事項にも関わらず,あまり深く大学院進学を決めたことがまさかの結果に…。


(3-2)大学院に無事進学,そしてあっという間に中退する激動の1年

 無事に高専専攻科を修了でき,いよいよ大学院へ進学しました。専攻は機械工学で,いわゆる鞍替えは特にせず,高専時代で継続してきた自動車関係の研究を大学院でも継続することにしたのです。専門的な内容は避けますが,いわゆる材料力学・機械力学・熱力学・流体力学の4力学をベースにそれぞれの系統に研究をしていくのですが,筆者は一度高専本科時代にやっていた研究に再度戻り,この専門家になりたいと思い,大学院の研究室を選択しました。

 ※筆者の研究歴:高専本科(熱力学系)→高専専攻科(材料力学系)→大学院(熱力学系)

 はじめて一人暮らしを開始し,研究室も国の研究費を得ており,高専時代の研究費とは比べ物にならないほど潤沢な資金があり,本当に驚きました。そして自動車業界の設計・開発業務に携わりたいという目標に向かって奮起していました。しかし,これが本当の地獄の始まりでした。

 結論から言うと,大学院を僅か3か月で中退するのです。原因は色々あるのですが,大きく分けると原因は3つあります。

 1つ目は,はじめての未開の地・一人暮らしをいきなりスタートしたことです。これは,大学生になった人の誰もが一度は経験するのではと思います。幸い,一人暮らしができるくらいの家事レベルはあったのですが,いかに家族にやってもらっていたかが分かりました。それはまだ慣れれば問題はないことですが,帰る時間があまりに遅いと話は変わってきます。当時の研究室はコアタイム(この時間は研究室にいなければならないもの)がありませんでしたが,平日は9~10時に学校へ行き,帰るのは日を跨ぐのが当たり前だったのです(今ではこれをブラック研究室と言ったりするようです)。もちろん,この間は研究活動の一環で実験機器を動かし,新たな必要となる範囲の勉強をし,実験データのまとめをしていました。そのため,寝る時間は常に午前3時頃で状況が改善されることはありませんでした。
 物理的に人間一人が生きていくための家事に時間を充分とることはできなかったのです。これより,次に起きるのは外食による出費の増加です。月に使える金額はおおよそ決めている中でかなりきつい思いをしたことを今も覚えています。

画像3


 2つ目は,研究レベルが高すぎたことです。今までは高専の中で勉強し,研究活動をしてきましたが,研究成果というほどの大きな成果は残こせていないにも関わらず,それなりに自信(おそらく過信)があったのでしょう。なぜなら,既に約3年間研究をしているのですから大学院の修士課程修了と同じくらいの力はあると思い込んでいたのです。
 しかし,これは「大きな間違い」でした。この大学院で筆者は本当に頭の良い人たちに出会い,自分のやってきたことは「カス」で「この人たちには敵わない」と感じました。あまりに自分自身を責めているように思うかも知れませんが,本当にそう思いました。その他にも,本当に有能な高専からの編入学生にも出会いました。この経験は自分の目標である「自動車業界の設計・開発業務」への就職を完全にあきらめる原因にもなりましたが,天狗になっていた筆者をもう一度リセットするにはいい機会だったと思っています。

 以上の結果から,大学院を中退しました。このとき,はじめて母親に泣いて「もう帰りたい」といったことは一生忘れないでしょう。

画像4


 7月中旬に北海道の実家に戻り,しばらくは抜け殻になっていました。戻ってきたときに,高専時代の機械工学科の先生方のもとを訪れました。そこでは,叱咤激励を受けて次の道を本気でまた考えなければと思い直していました。
 今思い返すと筆者は,お金が欲しいというよりもとにかく「居場所」が欲しかったのだと思います。あの研究室に在籍していたときは,「居場所」が本当にありませんでした。大学院から学生が新しく来る経験もなかったことから,多くの偏見満ちあふれていたことが理由だったのでしょうか。例えば,「高専出てるのにこんなこともできないの?」,「北海道から来たならこのぐらいのことはできるでしょう?」とかなりの偏見とマウントが多かったように思います。それもあれだけの激務ですから,他の研究室のメンバーも余裕がなかったのでしょう。きっと…。
 この状況で始めたことはバイトでした。厳密には「復帰」が正しい表現ですが,専攻科時代に2年ほどお世話になっていた塾講師のバイトを再開しました。最初は週3日からでしたが,後に週6日働きました。この塾には,専攻科時代に約2年間お世話になっていたのですが,塾講師としてはダメでした。あまりに真剣に取り組んでいなかったからです。週1回の出勤で,かつお金のためと割り切っていたぐらいですからね。しかし,週6回となると話は変わります。ここでスイッチが入ったのか,筆者は教え方から自学自習のやり直しにかなりの時間をかけました。あのときがある意味で「社会人」に近かったのかもしれませんね。

 そして,決断したことは再び「大学院」に行くことでした。この選択に高専時代の先生方は反対する人は誰一人いませんでした。そして,何より母親が許可してくれたことが自分を尊重していることに再度実感できた瞬間でした。

画像5

 選択した大学院は,高専本科時代に所属していた先生からのアドバイスで「大学の研究室を見学してくるといいよ」と言われ,はじめて研究室見学をした北海道内のとある大学の研究室でした。大学院中退後,そこの先生に無理を言って,「2週間ほど研究室にインターンの形で居させてくれませんか?」とお願いし,快く引き受けてもらいました。問題なく過ごすことができ,2月にある2次募集で大学院へ再度入学をすることになり,再出発しました。ちなみに,研究対象も中退した大学院とほぼ変わりありませんでした。このときは「自動車業界の設計・開発業務」への就職を考えてはいましたが,それよりも一度諦めてしまった研究内容にまた触れられるチャンスを生かし,必ず「後悔なくやり遂げたい」という気持ちがとても強かったことを今も覚えています。
 親の脛をかじり続けた筆者は無事大学院を修了できるのでしょうか。次回に続く。

(※)一端終幕

 今回はここまでです。最後まで見て頂きありがとうございます。

 ※次回は,第4章から投稿します。気になった方は,次回の連載も確認をよろしくお願いします。

 ※本記事の画像は,「いらすとや」の素材を使用しております。この場を借りて感謝申し上げます。(参考URL:https://www.irasutoya.com/)

この記事が参加している募集

サポートをして頂けると大変助かります。何かの支援ができるかもと思われた人をは何卒よろしくお願いします!