窓越しには通行人の動きが理解できない

「閉じた窓越しに外を見ていると、通行人がなぜ奇妙な動きをしているのか説明できない。そこからだと外でどんな嵐が吹き荒れているか分からないし、通行人は嵐の中でただ必死に立っているだけかもしれない、というこも分からないんだよ」

ウィトゲンシュタインという高名な哲学者が大学でのキャリアを捨てて小学校の教師になると宣言したときに、姉に、なんで小学校の教師になるんだ、と聞かれて答えたのが上の一節らしい。ここで出てくる「嵐」はもちろん心の状態のこと。自身の「奇行」は心に吹く嵐に抗うためであって、窓越しに見ている他人にはその「奇行」が理解できない。

ウィトゲンシュタインは様々な奇行やトラブルを起こし、死後にはアスペルガー症候群や高機能自閉症といった発達障害の典型例とされたらしい。

私も回避性パーソナリティ障害を持っている身として、ウィトゲンシュタインの気持ちが僭越ながら分かる。私の場合は不安という嵐のせいで人を過剰に避けるという奇行を取ってしまう。そして、それは周りの人には本当には理解されないのだろう。

ウィトゲンシュタインが論理哲学論考という著作を残したように、こんな私にも何か残せるものがあるのだろうか。そんなことを考えて今日の夜を過ごしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?