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解釈のすり合わせが面白い

小説を読んだ時、誰かの話を聞いた時、音楽を聞いた時。

場面理解にどんなものを使うでしょう?写真?映像?言葉?はたまた音?

私はよく映像で認識することが多いです。調子がいいと感覚的なところまで。

今日はイメージの違いを言葉にし、人と話し合うと面白いという話をしてみたいと思います。

とっかかりとして扱うのは、ドビュッシーの組曲「版画」より「塔」です。私はクラシックに疎いのですが、友人に教えてもらいました。解釈したら違いが出たので記事に残そうと思った次第です。

視覚的なイメージ

この曲を聴く時に、例えば、

・版画の1枚の静止画か、複数の静止画か、版画で写し取った情景の映像か
・この「塔」はどんな形をしているか、立地はどうか
・人は版画の中にいるのか
・季節や時間帯はどうか
・光の質はどうか

といった観点から考えることができます。

私は映像で捉えます。おそらく東南アジアとかの仏塔で、街からは少し離れた自然豊かなところにある。最初は夜明け頃に下から仏塔を見上げている。日が昇って光が屋根に反射し始めると、風向きが変わって、街から祭の音楽が流れてくる。夏が終わりに近づいているような、ちょっと湿っぽい感じ。やがて夕暮れになって視点は最初の場所に戻り、仏塔はゆっくりと闇に沈んでいく。

友人は複数の静止画で捉えていました。塔は日本のお城で、視点人物は城下町にいる。はじめはお城を上から見ている。しばらくすると祭りの音楽が聞こえてきて、演奏する人の姿が見える。町の一日。最後もまた上から城を眺めているのだそう。

言葉から音へ

恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』という作品で、この曲が登場するんですよね。風間塵が三次予選で弾いています。『蜜蜂と遠雷』については別の機会にじっくり語りたいと思っているので詳細は割愛しますが、pp.386-387での描写がこちら。

「版画」の一曲目、「塔」。
 ここでの「塔」は「パゴダ」と表記されており、ドビュッシーは東洋的な「塔」をイメージしていると思われる。
 大きな、年代物の額縁に囲まれた、古い絵。
 くすんだ色の、黄昏の集落。ねっとりした、亜熱帯のアジアの湿気。草の匂いや、熱風の匂いまで漂ってきそうな光景。古びた塔。
 まるで、パノラマ島。
 まるで3D映画。
 風景が舞台から飛び出してきて、座席に押し付けられるような重力を感じる。

この描写だと、静止しています。それでいて厚みがある。さらに、湿度や嗅覚といった感覚的なものまで読み取られています。もちろん、これは風間塵の演奏として描かれた「塔」なのですが。

初めて読んだ時にはこの曲を知らなかったのですが、読みながらにして情景と空気感、音圧のような物を感じたことに驚いたことを覚えています。ここから曲に戻ると、また色合いが変わります。

言語化すると

こうやって曲から出たイメージを言葉に置き換えていくと、より音楽が克明になるような気がしています。別の人の解釈をもとに聴き直すとまた違う光景に出会えることもあります。

自分の頭の中にある物を言葉にすること。他の人の解釈を自分でも受け入れ検討すること。そこから解釈をすり合わせていくこと。こういった営みは、何もクラシック音楽に限らないと思っています。

ジャズやポップス、ロックもそう。ダンスやオペラ、ミュージカル、演劇などもそう。私が大学で専門にしようとしている文学も、美術も、歴史も、日常に溢れている言説も、あるいは物事それ自体も。


最近、インターネット上の誹謗中傷や文章を「読めていない」が故の的外れなコメントなどが問題になっていますね。これって結局は自分の考えを言語化したり他の人の主張を噛み砕いて理解したりする前に、頭ごなしに人の言動の意味を決めつけることから始まるのではないでしょうか。

解釈のすり合わせを面白いと思わないのは残念だなと思います。面白がれたら、自分と異なる考え方を感情的に切り捨てる、なんてことには多分ならないのになあ。


自ら解釈し、人の解釈との違いやすり合わせを楽しめるような人でありたいです。

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