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「辞書は友達」と言い切ったのは

今日は昨日の続きで辞書の思い出です。

私は辞書が友達だと思っています。

高3の時に担任に頼まれ、同級生に国語の勉強法を話した時のセリフです。

私は高校時代国語が得意でした。記述式では学年トップを張り続けるレベル。勉強法については気が向いたら書きますが、これは今でも正しいと思っています。これに至るまでのことを書いてみます。


辞書にハマったのは小3。小学校の図書館でした。

私が通っていた小学校は文科省指定の図書館教育推進校で、図書資料の活用法を学ぶためのクイズがありました。そこで使ったのが最初です。

使ったのは旺文社の小学国語辞典。調べたのは「既製」だったと思います。

最初は読み方がわからず、既を漢字字典で引いてから使ったのですが、初めて見る言葉にしっかりと説明がなされているのに感動したんです。

勢い余って、両親に同じ辞典を買ってもらいました。マイ国語辞典デビューです。

それ以来、分からない言葉があると国語辞典を引くのが習慣になりました。家には広辞苑があって、たまに小学国語辞典と広辞苑とを使い、両親と同じ言葉の早引き勝負をしていました。辞書が娯楽になっていた状態です。

中学生になると、小学国語辞典では語彙が足りなくなるので、買い換えました。本屋さんで手にとって、ページをめくって。語彙数や見やすさを比べてみて、やっぱり一番落ち着くのが旺文社の国語辞典でした。それが私の相棒となる『旺文社国語辞典 第十版』です。

中学校の国語では1年と3年で担当してくださった先生の授業で意味調べが宿題に出ていました。正直その先生は苦手で、中学国語もあまり得意ではなかったのですが、意味調べだけは(書き写すのが面倒だと思いながらも)好きでした。小学生で習慣になっていたから当然といえば当然ですよね。

そして高校。母校には推薦辞書があるのですが、それに旺文社の国語辞典がありました。ちょうど入学する年に第十一版が出たのですが、中学入学時に買った十版が馴染んでいたのでそのまま使いました。

現代文の予習ではとにかく辞書を引いて意味を確認する。授業中でも気になったら引く。問題演習では答え合わせの前に辞書を引いてみる。必要があれば電子辞書の中に入っていた別の辞書と引き比べてみる。現代文の授業はほぼ辞書とともにありました。

休憩の時にふと思い浮かんだ類義語を調べてみる、ということもありました。例えば先生・教師・教員とか仕方がない・しょうがない・どうしようもないとか。

辞書を学校に置いたままにせず持ち運んでいたので、函はボロボロになり、ビニールカバーも表紙を止める部分が裂けてしまいました。諦めてあの皮表紙剥き出しの状態で使っていました。卒業前には表紙が背表紙から外れかけていました。


振り返ると人生の半分くらいは辞書が近くにある状態です。辞書を引くのが面倒だと思わないでここまで来れたのは幸運だと思っています。

一人暮らしにあたって、部屋が狭くスペースがないことから泣く泣く実家から持ち出すのを諦めたのですが、今でも辞書は好きです。電子も便利ではあるのですが、紙の質感には敵わない。

大学に入ってから『大辞泉』『日本国語大辞典』『時代別国語辞典』と言った大きな辞書を扱うようになりました。それでもふとした時に引きたくなるのは『旺文社国語辞典』なんですよね。辞書は友達、より正確なのは旺文社の国語辞典に惚れ込んでいた、なのかもしれません。

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