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小さな話25 フィクション

朝起きたら目の前に猫がいた。しかし、私には猫を飼っていたという自覚はない。つまり彼あるいは彼女は野良猫でかつ、侵入者であるということだ。薄いブランケットをどけようと手を動かせば猫が小さく鳴いた。もし漫画やアニメであれば、こちらの猫様はメッセンジャーとなるのだろうが、私は三次元に生きる人間である。そのようなことを妄想して楽しむことしかできない。
「おはよう。」
手始めに挨拶をしてみた。くりくりとした可愛らしい目でこちらを見つめる猫様は何も言わない。それもそうか。
「どこから来たんだい。」
猫様は喋らない。私は何を期待して猫様に話しかけているのだろう。枕元に置きっぱなしのスマホを手に取ると画面の数字はやや信じがたい現実を見せてくれた。
「一限逃してるじゃないか。猫様。」
アラームをかけたはずがスクリーンショットをしてアラームを消した形跡がある。大学の講義でも世間的には有休が使えるのだが、私のライフは残りひとつだった。つまり、今日逃したが最後、今後は必ず出席をしなければいけないのだ。
「猫様が消しちゃったことにしようか。ねえ。」
出会ったばかりの人間風情に全責任を押し付けられようとしてることも知らずに猫様は呑気に足をなめていた。
ここでぐだぐたと時間を浪費している暇もないのでひとまず薄い布団を片付ける。猫様はまるで自分の縄張りのように部屋を歩き回り、ときどき狭いと言いたげに鳴き声をあげていらっしゃる。
ベランダの鍵も玄関の鍵も閉まっていることを確認すると、いよいよ猫様がどこから来たのかわからない。生憎と私は名探偵ではないので、いくら真実はいつもひとつだろうと迷宮入りしそうな勢いである。
「猫様はどこからいらっしゃったんですか。」
私はまた猫様に話しかける。猫様は可愛らしい声で鳴くだけである。試しに手を近づけるとやけに人慣れをした様子で頭を近づけてくる。ふわふわとまではいかなくも、柔らかい毛並みと温もりを感じた。末端冷え性の私の手には心地よい温度である。
「何か食べますか、猫様。」
猫様に対する呼び方がいまいちわからず、猫様と呼ぶのが相応しい気がした。それほどまでに猫様は可愛いのだ。人間は猫様には勝てないと知った。
冷蔵庫を除けばろくなものは入っていない。使いかけのベーコン、卵、ややくたびれたほうれん草。調味料もろもろ。日本酒。朝食にはちょうどいいが、昼食をつくるにはやややる気の欠けるラインナップである。
「猫様は何がお好きなんですかねえ。」
足元をくるくるとまわる猫様は何かを期待しているようだった。しかし、猫を飼ったことのない私は何を食べさせていいのかわからない。少々悩んだ結果、コンビニへと足を向けることにした。コンビニエンスストアは素晴らしい。三次元の人間たちのセーブポイントに近いとすら思っている。
猫様は途中まで着いていきたいと鳴かれていたので、恐る恐る抱き上げると思ったよりも軽く、逆に落としそうになった。怖い。生命の重さは人間如きが図れないのだと再認識した。
「それではいきましょう。」
鉄の冷たいドアノブを捻ると、秋の風が顔をはたく。マンションの外の金木犀の匂いと雨で濡れた土の匂いが微妙な不協和音を奏でる。猫様は小さくあくびをしていた。こんな一日の始まりもいいものだと思い、足を踏み出した。


「そしてそのあとどうなったの。」
目の前の友人はつまらなそうにプラスチックのカップの底に溜まったホイップを紙のストローでつつく。
「コンビニに着いたら、ナイフを持った不審者がいて刺された。」
「何それ。」
「あまりの急展開にさすがに驚いたし、猫様も気づいたら小包になってた。」
「余計にわからなくなってきたんだけど。」
「どうやら不審者は私の抱えている小包に興味があったみたい。」
「特別だったの。」
「だって、猫様だもの。」
「でも小包なんでしょ。」
「そう。グレーの紙で包装された辞書くらいの重さ。」
「刺されて死んじゃったの。」
「いや、刺されたのは腕だったから死ななかったけど腕がぱっくりと切断された。」
「ぱっくりなんだ。」
「そう。血も何も出ずに。切断面はハムみたいだった。」
「気持ちの悪い。」
「見たままの感想を述べているだけだから。」
「不審者はどうしたの。」
「小包を奪おうとしたけど、私はもうひとつの腕で必死にカバーしてた。」
「そういえば他に人はいなかったの。」
「なんとそれがね、店員が不審者になったのよ。」
「はあ。」
「ぱっくりと切られた腕を蹴り上げたら不審者も驚いて、ナイフを振り回してた。」
「それで?」
「そのまま押し倒されて、重みを感じたところで目が覚めた。」
「悪夢だね。というか、そんな意味のわからない話を聞かされたこの時間が悪夢に等しいわ。」
「本当に驚いたのはこの後よ。」
「え?」
「猫様がいたの。胸の上に。」
「はあ。」
「で、頭を撫でようとしたら腕を引っ掻かれた。」
「その子はどこの子?」
「昨日飲み会帰りに拾った子。」
「猫様は今どこにいるの?」
「一旦姉に預けてきた。」
「じゃあ、いつか不審者に腕をぱっくりと切られる日が来るかもね。」
「それは、困るなあ。」
「困るだけなんだ。」
友人はいつものように唇の片端だけをあげて笑う。あまり人がいいように見えないよ、と言っているのだが癖だからと笑うのだ。
猫様に引っ掻かれた傷は思った以上に痛むし、野良猫だったために化膿する危険性もあると姉には心配された。化膿したらどうなるのだろう。やっぱり腕をぱっくり切る羽目になるのだろうか。それはやはり困るので念の為消毒しておくべきだろう。
ホイップを潰し終わった友人とカフェを出るとコンビニに入り消毒液を探す。コンビニは便利だ。あとは猫様のご飯を手に取りレジに向かう。
レジで会計をしていると年配の店員がギョッと目を見開いた。振り返ると血走った目の女がナイフを振り翳していた。
友人の例の引き攣った顔を目の端に腕でガードをした。小さく猫様の声が聞こえた気がした。


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