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社会人1年目としての今年

こんにちは。Re:です。
とても久しぶりにnoteを立ち上げました。なんなら、久しぶりに仕事以外でPCで文字を打っている気がします。
2023年が終わろうとしていますが、今年はほぼnoteを触っていなかったのでなんとなく自分の振り返りをしつつ、残せればと思い書き始めました。

今年は表題にあるように大学生として3ヶ月、社会人として9ヶ月過ごしました。9ヶ月という時間があまりにあっという間で今でも今年が終わることが信じられません。
社会人になって体感時間がおかしくなっています。1週間がすぐに終わってしまいます。1日なんて気付けば終わってます。
大学生の頃はnoteだったり、創作の時間が1週間の間でも取れていましたし、今思えばそれが自分と向き合う時間でした。
一方で、その作業はちょっとだけ体力と精神力を使うし、自分の気持ちに余裕がないと何も言葉が出てこないものでもあります。

社会人になってからの体感時間の中で創作からは逃げ続けて今年が終わってしまう、そう気づいたのがここ2ヶ月です。

これに気づいたときに私は怖くなりました。私にとってストーリーを描くことは唯一、私が私を好きになれる瞬間でもあるのです。それが全くなかったら、私はいつ私を好きになれるのか。

3ヶ月前、私は仕事でメンタルが完全に落ち込んでいました。元々秋は気持ちの波が落ちやすいことはわかっていたのですが、母の声を聞いて泣けるほどに落ちていました。
2ヶ月前、これではダメだと無理やり立ち直りなんとか日々を乗り越え、仕事でも楽しみを見つけていました。
1ヶ月前、連休明けに突発性難聴になりました。今は聴力を回復していますが、明らかに自分の生活に対してのストレスです。

大学のとき、落ち込んだら何をしていたのかを思い出していると、映画をひとりで見たり、創作活動に励んでいたことが浮かびました。

私にはひとりで物事の世界に入り浸る時間が必要なのです。

今もメンタルが完全に回復した気はしていないし、さらに会社の保健医には発達障害の可能性があるので精神科に行きなさいと言われました。
忘れ物が多い、優先順位をつけるのが下手、人の顔と名前を一致させるのが難しい、興味があることとないことへの集中力が違いすぎる。何となく察していたし、大学は力技で乗り切ったけど、やっぱり社会人はそうとはいきません。できないことばかりの自分が情けなくて申し訳なくて泣くことは両手で数え切れません。

働いているとどうしても自分を好きになれる時間も要素もない。社会人向いてないのかも、でも仕事は自分が望んでいたものだからやりたくない訳ではない。

こんなぐるぐるぐるぐるした状態でここ3ヶ月を過ごしております。

取り止めもなく思いついたままに書いているので読み返してよくわからないものになっている自覚はありますが、今年が終わるまでの20日でショートをひとつ書きたいと思います。来年はもう少し書けるといいなと思います。

きっとその時間がもう少しだけ私にとっては必要で、生きるための逃げ道になるのだろうと直感的に思っています。

社会人1年目は思っていたより大変であっという間で自分が嫌いになる時間でした。
残りの3ヶ月でそれが払拭されるとは思わないし、別にいいんです。
自己研鑽とかどうでもいい。ただ自分のために生きていく時間が欲しい。
そのために私は明日も息をするだけなのだと思うことで少しでも楽になりたいと思います。

独り言のような殴り書きになりましたが、やっぱり書いていると落ち着きます。

明日も呼吸ができたら満点です。という気持ちで皆さん出社しましょうね。

おやすみなさい。

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