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もう外国人風とかハーフ風って言われなくていい開放感、だって外国人だから

ロンドンに戻ってきて2ヶ月半くらいが経った。といっても最初はヨーロッパをフラフラしていたので丸々2ヶ月半は経っていないけど。家があって、学校があって、友達がいて、すっかり日常がここにあるのもなんだか変な気分だが最近気がついたことがある。

日本にいる時、サロンや着物、コンテストなどのモデルをしていた。その時ハーフみたいとか外国人風と言われることに違和感を感じていた事はどこかに書いたことがあるかも知れない。日本語が下手くそかもしれないけど私は日本人だし、両親も祖父母もその先祖もみんな日本人だ。それなのに、アジア人にしては目が丸い事、顔立ちがくっきりしていること、目や髪の色素が元々若干薄いという特徴だけで、ハーフみたいとか外国人風とか言われるのが正直嫌だった。でもまあそれでお金を稼いでいたわけだし何も言わなかったけれど。マイノリティって暮らしづらいのかなとも思った。

でもそれは違う。私は学校では唯一の日本人どころか唯一のアジア人だし究極のマイノリティだけれども暮らしづらさは一切ない。もちろん、専攻がミュージカルという特殊な条件であるが、本当に私しかアジア人がいない。でも外国人であることが辛いこともない。つまり日本にいる時に外国人風とかハーフみたいとか言われるのが嫌だったのはそれが全くフェイクのアイデンティティだったからだ。私は日本人でありたいし、日本人だし、日本にいたら外国人ではないし。ってか日本人じゃなかったらなんなの?っていう話だ。

ロンドンのミュージカル業界で、アジア人は本当に数えるほどしかいない。ミス・サイゴンや王様と私など歴史的、文化的にアジアに深く根付いている作品の曲を非アジア人が歌うのはなんとなくタブーとされている中、私はレアな選曲ができるのも特権だと思う。マイノリティの権利はアグレッシブなプロテストやSNSにおける活動で取り上げられがちで、どうしてもマイノリティとそれ以外という壁が生まれてしまうことが多いけれど、私は個人的にもう少しマイルドにフレンドリーに扱われてもいいのかなと思う。BLMの時みたいに命や身の危険に関わらない分野では特に。なぜなら私はマイノリティでも日本人であることによる問題を感じたことはあまりないし、むしろ何もしなくても人と違うという特徴は、パフォーマーとしては生まれ持った特権とも言えるから。

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