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レモネード

レモネードは誰が恋の味と言ったのだろう。

私がレモネードを飲んだのは、
ある夏の野外イベントで出店していたお店だった。
その頃には20をとうに超えて、
歳の下の子たちを見ると、
可愛いなあと思う年齢に差し掛かっていた。

東京は梅雨も明けて、
茹だるような暑さの夏が始まっている。
夕暮れ時の渋谷は真新しいビルが立ち並び、
またお店や新しいルートを開拓するのかと
多少億劫に思いながらも、
少しだけこの変わった風景を楽しみたいと思った。

私は人を待っている間、
お店の中に入る程の時間でも無いし、
何より外の空気を思いっきり吸い込みたい気分だったので、近くのスターバックスでテイクアウトすることにした。
一瞬47都道府県のフラペチーノを思い出したけれど、
それならコーヒーフロートだなあと、
新橋の喫茶店で飲んだ
コーヒーフロートのことを思い出して、懐かしむ。

慣れた口調で注文を済ませて
足早に店を出て座る場所を探した。
階段の日陰と風の通りが気持ち良かったので
そこでゆっくりと楽しむことにした。
音楽を聴くこともせず
ただただ人の流れを見ては、
ビルの隙間から見える小さい空を懐かしんでいた。
元の体温が高い私は、
この時期外に出ると37度を超えることが多くて、
そのせいだろうか、頭がボーっとするし、
人一倍汗が滲んでいる。
だからと言って、
クーラーの中に入り浸るのもあまり好きではないので、
夏の行動時間は、必然的に夕方からである。

レモネードはあの一度きり。
そろそろ行こうかと言って
今飲み干したこのコーヒーと同じくらい、
水分補給と同じことだった。
でも、一つだけ、恋に落ちたとすれば、
あの野外の舞台で歌っていた神様のような歌声。
あの夏の夜、
芝の草を痛みも無く鮮やかに刈り取る
ダンサーたちの足さばきに惚れ、
この歌声に神が宿る温かみに触れた。
彼ら、彼女らは空気の熱を感じるままに動き、
彼ら、彼女らの目には
この公園の風景は映っていないことを知った。
わたしは、心底うらやましくて。
そのイベントの終わりに心の中で泣いたものだった。
あれきりレモネードを飲むことが無かったのは、
機会が無かったわけではない。
私は飲めなかった。
あの頃、わたしはあの空間に
溶け込んでいると思っていたけれど、
結局単なる甘酸っぱい思い出を
楽しみたかっただけだったのだ。
自分が小さくて情けなくて、
みんなの愛に近づくことを恐れるようになってしまった。

あれからもう5年。
エスカレーターを下りながら、
なんてくだらなかったんだろうと思った。
結局1番怖かったのは、
仲間になれないと思った事ではなく、
自分の人生を人に任せっきりだったことだろう。
皆、年齢や経験、技術や知識、生まれた土地と家族、
皆全てが違って当たり前だ。
一つの仲間になれど、
全員がひとりひとりの人間であることも当たり前なのだ。
それを今なら受け入れることが出来る。
あの日の景色は、
私の1つの小さな初恋だったに違いないことも。

これからは、
あの甘酸っぱいレモネードを爽やかな気分で味わおう。
小さな初恋はいつまでも、
私の最高の人生の一つであるように。

終わり。

P.S. ここまで読んで頂きありがとうございました。
この先、少々更新頻度を少なくしていきたいと思います。
その分勉強や経験を募って、
より良い読み物に出来るよう精進します。
皆さんお身体を大事にしてお過ごしください。

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