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体験小説「チロル会音楽部 ~ ロック青春記」第16回*ザ・ナイスのキーボードプレイヤー

 5歳からピアノを習っていた中学生が、周囲の影響からロックに興味を持ち、そしてレッド・ツェッペリンでハード・ロックに目覚めたとすれば、その後、ロック・キーボードで、そのテイストを目一杯表現したくなるのは、ごく自然なことだと言えるだろう。

 最初に興味を持ったロックのキーボーディストはアル・クーパーだった。理由は、音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の人気投票“ピアニスト&オルガニスト部門”で1位にランクされていたから。
 ブラス・ロックの旗手BS&Tの創始者としても知られていたし、アルバム『スーパー・セッション』や、『クーパー・セッション』などのアルバムも、雑誌での露出度も高かった。
 レコード屋の店頭でも見かけて、LPを1枚入手。そのブルース風味のプレイがけっこう気に入っていた。

 少し遅れて、ジェフ・ベック・グループに参加していたニッキー・ホプキンスのプレイには、それ以上に惹かれた。シングル『監獄ロック』でのパワフルな弾きっぷり、アルバム『トゥルース』で聞かれる、ブルージーなピアノ・プレイが耳に残った。
 当時、ロックで聞かれるキーボード・プレイは、ピアノにしてもオルガンにしてもブルージーなものが主流。そして、ボーカルやギターのわき役に回ることに徹していた。

 そんな頃、末原君が、ミュージックライフの紹介記事を見て、ザ・ナイスを率いていたキース・エマーソンを聴くことを勧めてくれた。
 オルガンとピアノを駆使し、ギターレスのトリオでやっているのだから、よほどスゴイはずだ、というのが彼の考え方だった。彼の心酔するクリームが最高のギター・トリオだとすれば、そのキーボード・バージョンがザ・ナイスだという捕らえ方だった。
 音楽雑誌のレビューでも、他のキーボーディストとは一線を画する別格的な存在として紹介されていた。「怒涛のようなオルガン・プレイ」という表現が使われていて、ロック界では異例な才能の持ち主、クラシック、ジャズに精通し、普段は物静かな紳士だが、一旦ステージに上がると、狂気に取り付かれたように豹変する、というようなことが書かれていた。
 鮫島君から、オルガンにナイフを突き刺すという話を聞いたときは、かなりショックを受けた。狂気とも思える想像を絶するライブアクトに、興味は募る一方だった。

 ナイスというバンドは、本国イギリスではある程度人気が出ていたが、日本では、ほとんど無名だった。ミュージック・ライフの人気投票にも無関係。ラジオなどで聴けるチャンスも、ほぼ皆無だったし、地方都市鹿児島のレコード屋では一度も見たことがなかった。

 インターネトなど存在すらしなかった時代である。音や映像などの情報に触れるのは簡単なことではない。興味を持ったら、取り敢えずレコード屋に注文して取り寄せる以外に情報得る方法はない。中学生当時、親から貰っていた小遣いは、月に千円。LP1枚買おうと思ったら、それだけのために、丸2ヶ月何も買わないで我慢しなければならない。

 そんなわけで、テレビ、ラジオで耳にする音楽以外は、聴いてみたいと思っても、なかなか耳にすることが出来ない。情報への渇望感は、悩ましいほどで、想像だけが無暗に膨らんだ。

 初めてその音を聴く機会を得たのは、当時、天文館アーケードの一角にあった十字屋という楽器屋だった。鮫島君がというシングル盤『夢を追って』を探し出してきたときは、「よくあったなあ!」というのが真っ先の感想だった。

  **  **  **

 CDがこの世に登場する10年以上前のこと。30㎝LPや17㎝シングルなどのアナログ・レコード全盛の時代、ほぼ全商品が視聴可能だった。
 レジカウンターに視聴用のターンテーブルが設置されていて、売り場から目当てのレコードを持っていくと、それをかけて聴かせてくれた。

 ナイスの『夢を追って』を持って行き、順番を待った。そして、レコード売り場のお姉さんが、レコードに針をおろすと、クラシック風の華麗なピアノ・プレイが聞こえてきた。

 その直後に末原君が口を開いた。

 「なんだクラシックみたいだがね」

 鹿児島弁的言い回しで、全然ロックらしくないと不満もあらわにし、店員さんに早々と試聴中止を申し出た。

 ― あ、もうちょっと聴きたい! ―

 言葉を発する間もなかった。

 その後に試聴を待っているお客さんもいる。一旦中断したものを、連続でかけてもらうわけにもいかない。

 というわけで、最初のチャンスは、ほぼ瞬間で終了。
 お預け状態となった僕は、フラストレーションの固まりとなってしまった。
 どうやら、その先を聴きたいのは自分だけのようだし、またの機会に、こんどは1人で聴こうと心に誓った。

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 足繁く通ったレコード店が3ヶ所。天文館商店街の北寄りにあった十字屋楽器店、南側にあった古川楽器店、高見橋そばにあった学習館。この「学習館」という名称は、今思えば、レコード&オーディオショップとしては珍しい名前だった。
 新譜の発売日などには、自転車を飛ばして、真冬でも汗をかきながら店頭に駆けつけたものだ。その店になければ別の店へとすっ飛び、ほとんど運動会の借り物競争のような状態だった。

 当時、鹿児島のレコード屋に並んでいるロックのレコードはわずかなものだった。ビートルズ、サイモン&ガーファンクルなど、片手で数えられるほどのアーティストが単独で区分けされ、あとはまとめて「ロック」で括られていた。その「ロック」の総数が、50枚を余裕で切っていたと思う。
 そんな状態だったから、市内の各レコード屋に、現在どんなロック・アルバムがあるか、大体頭に入っていたほどだった。それぐらい、ロックはマイナーなジャンルだった。
 そんな中でも、ナイスはさらにマイナーなバンド、自分の周囲には、その名を知っている人など、誰もいなかった。

 そんな状況下、学習館でナイスのLPを見つけたときは、メチャ嬉しかった。日本で無名に近かったザ・ナイスのLPが店頭に並んでいることなど、まず有り得ないことだと思っていた。

ザ・ナイス(右端がキース・エマーソン)


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