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体験小説「チロル会音楽部 ~ ロック青春記」第5話*ギター小僧・末原君

 チロル会が、様々な方向に活動を広めてゆく一方で、末原君の部屋は、いつしか音楽仲間の溜まり場となっていた。

 音楽雑誌『ミュージック・ライフ』からの情報などを頼りに、皆で音楽談議に花を咲かせたものだ。
 末原君の憧れの的は、ギターの神様と言われた、クリームのギタリスト、エリック・クラプトン。何度となく彼の名前を聞かされ、そして“Wheels of Fire”(邦題『クリームの素晴らしき世界』)から「クロスロード」を何度も聴かされたものだ。
 その心酔ぶりは相当なもので、とにかくクラプトンの存在は、単なる一人のギタリストという枠を超えて、人間としてあるべき理想の姿のように見えていたようだ。
 容姿が神々しいとか、名前の響きが良いとか、ライブ・レコーディングで聞ける“Eric Clapton, Please!”というジャック・ブルースによるMCがカッコいい、などと可能な限りあらゆる角度から嬉々として語っていた。

 ただし、そういったロック・ヒーローたちの存在は、まだ遠い目標でしかなく、集まって練習する曲の中心は、初回練習時からの定番『駅馬車』、ハーモニカが印象的だったカルメン・マキの『時には母のない子のように』、ミュート奏法によるギター伴奏が印象的な、由紀さおりの『夜明けのスキャット』、そして、第1次バンドブームともいえるグループサウンズのナンバーなどであり、そこに、ビートルズの『イエスタデイ』や楽譜が出回っていたベンチャーズの1~2曲が加わる程度だった。

 末原君と僕との間に、1つ意外とも思える共通点があった。それは、漫画を描いていたこと。落書き帳やノートの端っこに描き散らすようなものではなく、ストーリーを考えコマ割りをして、読者を想定した「作品」としての漫画である。
 ケント紙に黒インクを使って描いたスパイ物の作品を、末原君から見せてもらったことがあって、それに触発されて、それまでの鉛筆描きを改めて、インクで描き始めた。

 小学校2年のときに、初の国産アニメ『鉄腕アトム』のテレビ放映開始。さらに『鉄人28号』『エイトマン』などがそれに続き、毎週目を輝かせてテレビの前にかぶりついたものだ。また、原作の掲載されていた漫画雑誌にも大いに惹かれた。
 そういった雑誌には、よく漫画の描き方が掲載されていて、鉛筆で下書きしてから、インクを入れる手順だとか、ペン先や画用紙の種類、線を引くカラス口などの器具などが紹介され、子供心をくすぐった。
 また、「マンガ梁山泊」の異名を取るようになった「トキワ荘」での漫画家青春物語には大いに刺激された。若き日の手塚治虫が一時住んだことから、その後、藤子不二雄や、赤塚不二夫、石ノ森章太郎など、若手の漫画家がそこに集まって切磋琢磨した東京都豊島区のアパートでの実話に、夢を膨らませた漫画少年たちは多かったと思う。
 そんな時代の波を受けて、小学校4年ごろからストーリー漫画を描くようになり、小学校を卒業するころには、数種類の連載漫画をまとめて、雑誌風の本を手作りするようになった。 
 卒業文集に書いた一文は、「日本一のストーリー漫画を描きたい」だったし、中学入学時に将来について書いた作文の中でも、漫画家になることを目標に掲げたものだ。
 作文を読んだ、担任の国語の先生から、描いたものを見たいと言われ、職員室に持って行ったこともあった。他の先生もそれを覗き込み、おだて半分に褒めてくれたのが、子ども心に嬉しかった。
 夏休みは、漫画を中心に据えた生活をした。目覚めたときには、もう漫画のことを考えていて、起き上がると、真っ先に机に向かったものだ。

 そんな日々に変化をもたらしたのが、チロル会音楽部だった。次第に漫画を描く時間より、楽譜を書く時間が増え、漫画の新作が増えなくなった。そして、ついに完全に漫画を描くことをやめる決心をしたのが、中学2年になる前の春休み。
 小学校の時から、漫画を描く事は、自分のアイデンティティーを構成する大切な要素になっていて、それを止めると、自分が自分でなくなるような気さえしたものだが、散々迷って、音楽1本に方向を絞ることにした。

 末原君にとって、漫画がどのような位置を占めていたのかを、話したことはないが、本格的に描かれていたところから、やはり職業漫画家になることを夢みた時期があったのではないかと思う。

 漫画の新作が増えなくなっていた頃、末原君との間で、アドリブとはどうやるのかが、よく話題になった。
 プレイヤーにとって、最も自分の存在をアピールできるのは、技巧的なソロをとる場面である。かつては、ヴォーカルの合間の「間奏」でしかなかった部分が、ジミ・ヘンドリックスや、クリームの登場で時間的に引き延ばされ、演奏時間の長さそのものが、実力の証として賞賛の的となっていた。

 ある日ある時、その憧れのアドリブを、2人で実験的に試みてみようという話になった。
 しかし、やりかたが全然わからない。それじゃあ、取り敢えずAマイナーだけで適当にやってみようということになった。使う音はコードトーン、つまり、ラ・ド・ミの3つのみ。使用楽器は、セミ・アコースティック・ギターと電動オルガン。最低15分は続けるということを条件に、厳かに即興演奏が始まった。

 イントロは電動オルガンで鍵盤中央から、ドラドミ~、ミドミラ~、ラミラド~、と上行したのを覚えている。そこにギターのトレモロ・アームを利かしたシングルトーンが絡む。その後は、ミドラ、ミドラ、ミミドラ、ミミドラ・・・、そんな感じで、ちょっと空虚、いや、かなり空虚だった(笑)
 途中、ギターにトレモロを深くかけたり、コードを荒々しく掻き鳴らしたり、指をメチャクチャに動かしまくったり、オルガンのトーン・クラスター(音塊奏法)を使ったり、まだ他にも何かやっていたかも知れないが、録音が残っていないので確かめようがない。

 中学生のうぶな感性は、ちょっとしたことで、弾けるような歓喜の世界に入り込んでしまう。憧れの「演奏時間15分」突破を目指して、それなりにトリップしていた。
 録音したテープを聴きながら、サイケデリックな出来栄えに満足。自己評価は、極端に高く、末原君は、
 「クリームの演奏だと言っても、どうせ分からないよ」
 とまで言った。もちろん、僕もそう思ったさ(笑)

 早速それを友だちの誰それに聴かせようということになり、自転車を漕いだ。その間、カセット・レコーダーを回転させっ放し。道行く人に、少しだけでも自慢の音を聴かせたい中学生君たち。
 なんとも、のどかな春だった。

 その後、多少知恵が付いてくると、恥ずかしくなってこのテープを消去してしまったが、逆に、今こうして当時を思い出しながら書いていると、デタラメをやりながらも、それなりの面白さがあちこちに散らばっていたのかもしれない。

セミアコを弾く末原君
(自宅にて)


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