小学校の授業における特別支援学級との交流が私にもたらしてくれた恩恵

またしてもれいわ新選組の話題です。参院選までは多分、私の頭のなかはこれ一色(笑)。

さて、今回特定枠2位で出馬される木村英子さんが、先日の「れいわ祭」のなかでお話されていた「インクルーシブ教育」について、私の思うことを書きたいと思います。

小さい頃、登下校の際に出会う障害を持つ子を怖いと感じていた

私の通っていた小学校は、知的障害を持つ子ども用の特別支援学級を併設していました。ですが、実際は登下校の際に見かけたり、運動会などの行事を一緒にやる程度で、交流はありませんでした。

特別支援学級に通う子どものなかには、いつも奇声を発しながらジャンプして近づいてくる男の子がいて、子ども心に「怖いよお」「関わりたくない」と、正直感じていました。

小学校5年生のときでした、新しく担任になった先生は、特別支援教育への理解が深い方で、私たちのクラスに週に1度、彼らの学級に赴いて一緒に遊ぶという特別授業を設けました。

小学校高学年のときの特別授業が、私の障害を持つ方へ対する目線を変えた

初めて足を踏み入れた特別支援学級の教室は、トランポリンや楽器などが置いてあり、私たちの整然と机が並ぶクラスとはまったく異なるものでした。何年も同じ学校に通いながら、それまで踏み入れたことのない領域があったことを、とても不思議に感じました。

一緒に遊ぶだけの授業が続くうちに、私のなかでは大きな変化が起こっていました。正直、「触るのも、触られるのもイヤ」と思っていたのですが、自然と手をつなげるようになり、低学年の子どもに対しては、本当にかわいくて仕方がないと思うようになりました。また、奇声を発していた男の子とも、トランポリンで一緒に遊ぶようになり、いつのまにか、私のなかでの「恐怖」は無くなっていました。

この小学校のときの特別授業が存在しなければ、私の知的障害を持つ方に対する「怖い」という感情は変わることがなかったと思います。その後も何度か電車で突然奇声を発っする方と同じ車両になることがありましたが、近づくと席を立つ人がいるなか、私は「ああ、なにか刺激になることがあったのかな」と、受け止めることができるようになりました。

私たちはあまりにも障害について無知すぎる

さらに、『自閉症の僕が跳びはねる理由』の著者である東田直樹さんのドキュメンタリーを観て、思い通りに動かない体のなかに閉じ込めれられている東田さんが、世間からの刺すような目線に苦しんでいることを知りました。症例は個々によって異なるものの、なぜ、日本社会はここまで障害を持つ方を「分けて」いるのか、そして、交流する機会がないため無理解のまま、「健常な人だけにやさしい」社会を作ってしまっているのか、残念でなりません。

私の経験上、知的障害児の話がメインとなってしまいましたが、今回、れいわ新選組から出馬される木村英子さんは、体が動かない重度障害をお持ちです。でも、普通に話せて、思考ができて、意思疎通ができるにも関わらず、19歳まで施設しか知らない生活を送られていました。もし、彼女が勇気を持って社会に出なければ、いまでも施設に隔離されていたとのことです。

私のほんの短期間の特別授業でさえ、私の障害における考え方を変えることができたのですから、インクルーシブ教育が導入されれば、障害を持つ方へメリットがあるのはもちろん、普通学級の子どもたちにも、とても大切な経験となると思います。多様性のある社会を作るために、必要とされる取り組みだと強く思います。




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