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闘争心が僕を駆り立てる

今回は僕の気持ちを駆り立てることについて話してみたいと思う。齢20前半のさえない大学生が何を言っているんだと思うかもしれないが、最後まで付き合ってほしい。

僕はのんびりした気質だ。あまりワイワイ騒ぐタイプの人間ではなく、血の気が多いというわけでもない。しかし最近になって僕は闘争心によって駆り立てられる人間ではないかと思うようになった。普段はあまり表には出てこないが、本来は他人を倒したい、勝ちたい、下になってたまるかという感情があるのかもしれない。まるでカルデラが表面上は穏やかでありながら突如大爆発を起こすかのように、僕の心は闘争心に支配されるのだ。

幼いころは活発な少年だった。
自然や動物、ゲームが好きな子供だったし、放課後は室内外問わずずっと遊んでいた。暗くなるまで遊んでは夕飯を腹いっぱい食べて風呂入って寝る、勉強なんかしたくない。朝起きて学校行って友達と遊んでたまには喧嘩して、次の日には仲直りして…そんなステレオタイプのやんちゃな子供だった。それでも僕は大きくなったら中学や高校で部活やデートしたり、受験して大学に進み、就職して結婚して子供ができて…そんな人生を送ると思っていた。それが普通と思っていたのだ。
しかし中学年あたりから僕の人生は大きく変わる。人生のターニングポイントはどこかと聞かれたら部活動や大学受験なんかよりもまず僕は真っ先にこの少年時代を挙げるだろう。

クラスや学年には必ずいた、いわゆる育ちの悪い家庭(言葉は悪いがネットスラングでいうDQN家族)で育ったのが僕だった。三人兄弟の末っ子だったが、僕が中学年になるころには上二人は高校生や中学生になる。反抗期や、同じような家庭環境の人間とつるんだことが重なり非常に高圧的で反抗的な人間になっていた。両親は中学や高校進学による必要経費を稼ぐため共働きになり、ストレスが溜まり家でも機嫌が悪いことが増えた。
そうなると彼らの矛先は僕に向く。言葉は悪いが彼らのサンドバックにされていたと思う。みんな余裕が無かったのだ。暴力こそなかったが僕の心はすり減っていった。ストレスがたまりみんな僕にあたっていたし、自分の部屋のものもよく無くなった。勝手に兄弟が盗っていったのだ。
家に居場所はなかった。

学校でも居場所はなかった。中学年になると、つまり10歳前後になると人間は徐々に脳や体が発達し始める。そのため心身ともに周りとの差が出始め、子供同士の衝突も増えるようになる。そんな子供の面倒を見るのが教師たちであり、教職課程には"小4の壁"としてこの年代の子供の扱いについて教えている。ある程度の問題行動や衝突は想定内の出来事なのだ。しかし僕の学校では違った。教師からは兄弟や家族の様子から僕も同様の人間だと見なされ警戒されるようになった。卒業したあの子供の弟だから警戒しなくてはならないと思っていたのだろう。
さらに困ったことに僕は体の成長が早く学年で一番背が大きく、二番目に高い子よりも10センチ近く大きかった。そのため何か問題が起きればその見た目と、家庭や兄弟の様子、低学年のころのやんちゃさにより僕がマークされる。当然喧嘩になれば体の大きい僕が問答無用で悪者にされたし、見た目や兄弟のせいで上級生からも目をつけられいびられることも多かった。それで喧嘩にでもなれば「お前が悪い」、なにかしらの不和が生じれば「そもそもお前の人間性を直せばいいだけ」、などと言われていた。
結局のところ教師も僕のことが何となく気に食わなかったのだ。図体は学年で一番大きいくせに精神は年相応の子供で、育ちが悪く何をしでかすかわからない乱暴な奴、そう思っていたのだろう。教職課程でも教わっていない、教科書にも書かれていない、今まで見てきた子供とは何もかも違っていたのでさっさといなくなってほしい子供が、僕だった。

いつからか僕は人と関わらないようにした。周りからすれば成長するにつれておとなしくなっていったように見えただろう。実際は内向的になり周りに心を開かなくなっただけだ。大人も、周りの人間たちも信じてはいけないものと思っていた。運がよかったのは、そうした人間たちにはなりたくないと思って勉強はしていたことだ。小学校から通して優秀ではないが悪くない成績だったと思う。だから高校もそれなりのところに進学できたし、一浪こそしたがしたが大学も決して悪くはないところに進学することができた。

進学やアルバイトなどで世間に対する視野が広くなったこと、周りも頭が良くまともな人が多くなったので心も徐々に治っていった。しかし辛かったのは周囲の人間とは全く異なる人間性を身に着けてしまったことだ。人間関係における一挙手一投足において周囲の人間とは異なる振る舞いをしてしまうのだ。そして僕と同じような境遇の人間はいなかったので共感してくれる人もいなかったし、ネットや本で調べても僕と同様の育ちをした人間の心の成長について解説してくれるものはなかった。
人間性を形成する大切な時期に徹底的に心を痛めつけられた僕と違い、皆仲間や親、教師に恵まれていたのを感じるのが辛かった。そしてそうした人間のほうが、同じ勉強やスポーツで優秀で、プライベートが充実しているのも見ていて辛かった。

今僕は十代後半から二十代にかけて同年代の人間たちが活躍するのを目にするようになった。僕とは異なる人生を歩み、成功している人間たちだ。そうした人間たちを見て、最初は妬みの感情のほうが勝っていた。だけど曲がりなりにも世間に対する視野を持った僕はそんなことを考えても無駄だということを十分わかっている。
確かに、過去は変えられない。そして僕がほかの人たちとは違う人生を歩んできたのは変えることのできない事実だ。だけど、今世間で成功している人たちもまた普通の人とは異なる人生を歩んできたはずなのだ。無理だと言われたかもしれない。馬鹿にされたかもしれない。それでも、幼いころから周りの目を気にせずに歩み続けたからこそ成功しているのだ。
ならば僕もまた負けるわけにはいかないだろう。もう力のない子供時代の僕ではない。僕の人生は周りの人たちによって支配されたり、台無しにされていいものではない。もうそんなことはさせない。自分の道は自分で切り開いていく。同じように人とは異なる人生を送り、戦い続け、成功した人たちのように、僕も目の前のなすべきことに全力で取り組んでいく。負けるわけにはいかないのだ。


幼いころに心を叩きのめされた経験があり、成長して周囲との差を感じるようになったからこそ、負けるわけにはいかない、人に勝ちたいという本来持っていた闘争心が芽生えたのかもしれない。もしかしたら元々持っていたやんちゃさも相まっているのかもしれないが、せっかく出てきてくれた"闘争心に駆り立てられる自分"と向き合って、なすべきことに取り組んでいきたいと思う。


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