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初めての不審者記念日

皆さんこんにちは。段々と気温が高くなり、夏が近づいてきたなと感じています。現在僕は一社会人として会社に務めているわけですが、数ヶ月前までは大学院生、もとい数年前までは初々しい大学生だったわけです。大学入学当初は、年齢としては成人していても社会に生きる人間としてはまだまだ未熟な子供なわけで、まだ高校生の雰囲気をまとっていたわけです。一言で言えば少年の雰囲気をまとっていたわけですが、年を経るにつれて段々と成人としての相手からは思われるようになるのです。ここでは僕の成人男性としての悲しい裁きを受けた経験を紹介したいと思います。

3月某日、修了発表を終えて、実家への帰省や旅行、引っ越しの準備などをしていた傍らで僕は研究の引き継ぎのために研究室に行っていたのだ。
引き継ぎと言ってもそんな大したことはなく、計算ソフトに入っていたデータをまとめたり、今までに取った試料の写真をまとめるくらいだ。他には机の周りの整理整頓くらいだろうか。ともかく僕は研究室における残り最後の仕事を終え、ようやく自身の研究が完全の終わったという開放感と、学部時代と大学院の計3年間お世話になった場所を永遠に去るという寂しさの2つがないまぜになった状態で研究室をあとにした。

この日はどんよりとした天気だった。朝から雨が降ったり止んだりしており、ジメジメとしてなかなか過ごしにくい日だった。しかしそのくせ気温だけは3月のくせにそれなりに高くて、それが余計に過ごしにくくさせていた。ただそれでも僕は研究室にもう行かなくていいという事実があったので、むしろウキウキしながら帰路に着くために駅に向かっていた。
夕方だったこともあり僕の周りには学生が何人も歩いており、僕の数メートル前にはなかなかにきれいな、よくクリーニングされていそうなコートを着た一人の女の子が歩いていた。どんよりとした天気に反してその子は晴れ晴れとした気候が似合いそうな格好をしており、畳んだマフラーをバッグに乗せて歩いていた。

(でもまぁ僕には絶対に関わりのない感じの人だなぁ。どうせ卒業式を終えたらこういう人とは金輪際関わらない人生を歩むのだろう。)

ぼんやりとそう思いながら歩いていると、畳まれていたマフラーが徐々に崩れ始め、地面を引きずるような形になった。よく見ると長いマフラーで1メートルから1.5メートルはありそうなものだった。こちらもまた彼女の着ていたコートと同様によくクリーニングされていそうなものであり、まるで足跡一つない北海道の雪原のような白色をしていた。幸い彼女が歩いているところの地面自体は乾燥しており、マフラーが濡れることもなく、そしてマフラーの長さからしてすぐに気づくだろうと思われた。
しかし彼女は気づくことなくそのまま歩き続けた。

(声をかけたほうがいいだろうか。地面は乾いていても砂汚れは付いてしまうし、それにきれいなマフラーだから余計に汚れも目立ってしまうだろう。でもいきなりこんな男に声をかけられたらびっくりしちゃうかもしれない…。)

そうした葛藤があり、また僕は女性にはあまり免疫もないので彼女自身が気づくことに期待し駅の方向に目を向けた。すると水たまりがあることに気づいた。だが彼女は歩く速度を変えず、しかもマフラーを引きずっていることに気づくそぶりもなかった。

(頼む、気づくんだ。気づいてくれ。このままではそのふわふわなきれいなマフラーがびしょ濡れになってしまう。)

彼女は歩く速度を変えなかった。まずいこのままでは非常にまずい。僕は決意した。彼女に知らせなくては。僕は早歩きで彼女に近づいた。

「すみません。すみません。あの、すみません。」

だが彼女は気づくそぶりもなかった。

「あの!すみま…」

突然彼女は走り出した。急に走り出したので僕は唖然としてその場から動けなかった。マフラーは彼女が走り出したことで引きずられる軌道が変わり水たまりに浸かることはなかった。

僕が彼女は十メートルほど走ったあとでこちらを振り向き睨みつけるとマフラーが引きずられていることに気づいた。

「あっ…!マフラー…ですか…?」

唖然としながら僕はうなずいたのだがその瞬間に気づいた。僕は女性に声をかける不審者扱いされていたのだと。

大学入学直後の10代後半であれば見た目も若いためそんな扱いはされなかったかもしれない。しかしこの時の僕は20代半ばであり、段々とアラサーに近づきつつある年齢だ。というよりは30歳と思われても仕方ない見た目をしているかもしれない。そもそも彼女は見た目からして学部の1年生か2年生のような見た目をおり、そんな若い女性が大学院を修了するような年齢の男に声をかけられたら恐怖するのは当然かもしれない。

もしかしたらその場で悲鳴を上げられなかっただけましだったのかもしれない。おそらく彼女も同じ方向の電車に乗ることが予想されたので僕は彼女に鉢合わせない様に駅に向かった…。

目的の駅に着いた後に、きれいなコートとマフラーの女性にすれ違った。例の彼女だ。友人と思われる人たちと共に歩いており、僕には気づかなかった。きっと彼女は友人たちに僕という不審者の話をするのだろう。女性に話題になるほどモテたことはないが、こうした形で女性の話題になるとは思わなかった。

しかし僕は決して悪いことをしたわけではない。あくまで善意での行いだったのだ。そのうえで誤解を受けたとしても堂々としていればいいのだ。
でも、傷ついたなぁ…。ただこうした僕の不遇な扱いを受けた話でくすりと笑ってくれればいいなと思う。

コートの女性に逃げられたから、あの日は僕の初めての不審者記念日だ。

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