5342字のラブレター
第一章「君の台詞には矢印が見えないんだ。」
おっかないひとだった。
シーンとした舞台と、眩しすぎるスポットライトと、ぼたぼた吹き出す汗が目に染みる。
演劇部の誰もが恐れる 顧問 兼 脚本家 兼 演出家。
一番のクライマックス、生まれてから一度も会ったことがない父親と再会した女子高生が最後に父親にこう告げるのだ。
外で待ってます。母も車で来ています。「待っていますから、今度は逃げないで来てください」って、母の伝言です。(退場)
女子高生役をオーディションで掴んだ私は、完全に図にのっていたのかもしれない。
この「待っていますから」を何百回言っても、何百回のダメだしをくらった。私のこのシーンだけで何時間も練習時間が割かれた。
高い声で、低い声で、涙声で、ぼそっと、叫びながら、穏やかに。
トーンを、声色を、テンポを、変えても変えてもだめだった。
「いいかい、君の言葉には矢印が見えないんだ。」
「矢印」ってなんだよ、意味わかんないよ。はげじじい。
60分という高校演劇の上演時間の規定のうち、57分間全員が良い演技をしていても、最後の3分間、この台詞の「矢印」というものを正しく届けなければぶち壊しになる。
悔しい、わからない、正解がわからない。矢印ってなんなんだ。
この台詞は母親から父親に伸びている矢印ではない。
やっと57分の様々な出来事や困難があったうえで、懸命に父親の存在を受け入れ、許そうとしている女子高生の自分自身から父親に伸びている矢印なのだ。
その矢印が「待っていますから」につまっている。
役柄と同じ18歳だった私がこの矢印の意味に気づくこと、さらにその矢印を台詞に載せて伝えるのには今から思うと難易度が高すぎなんじゃないかと思うけどね、先生。はげじじいって思ったことは謝るけどさ。
高校演劇の中央大会にまで進み、芸術劇場のホールでようやく見つけ出した矢印とともにこの台詞を言ったのがちょうど8年前。
8年の歳月を経て、わたしは記憶のなかの自分と再会した。
超言葉術とわたし
前置きが長くなった。
私は最近、とあるコピーライターにどハマりしている。
阿部 広太郎さん。
電通のコピーライターで、存在を知ったのはSNSで偶然阿部さんのツイートが私のタイムラインに流れてきたのだ。
5月18日の「言葉の日」に # I LOVE YOUの超訳し方 というハッシュタグをみつけて胸が躍った。
その晩、一気にnoteを書いた。
阿部さんのツイートを一気読みした。
ウェビナーにもオンラインイベントにも参加した。
そして、3月にでたばかりの著書、『コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ 超言葉術』を読んだ。
この記事はその本の読書感想文なはずなのに、ずいぶんと前置きが長くなってしまった。
でも、言葉とともに生きてきた私にとって、この本は自分史を振り返るバイブル本のような存在だと思う。
第3章「言葉に矢印をこめよう」は、まさに私が言葉と歩んできた始まりの高校演劇部時代の自分と再会することができた。
「君の台詞には矢印がない」、そんなことを言われてしまったほろ苦い思い出だけど、まさかこんな形で忘れていた記憶と再会できるなんて。
これはおそらく誰のどんな読書感想文よりためにならない。
自分のことしか書かないからだ。
でも阿部さんはこう書いてくれている。
書くのはまず自分のためでいい。「一番大切にすべき読者は自分だ」と思うのだ。--- 第一読者は自分。
阿部さんがこう言ってくれるなら、私は自分のためにこの感想文を書く。
第二章 チョコとイチゴのハーモニー
高校を卒業した私は大学に入り、演劇はもうやりきった感でいっぱいだったので何か新しいことにチャレンジしようと思った。
そして目に入ったのが「放送研究会」。
数々のアナウンサーを輩出しているサークルでもあり、(アナウンサーになる気はさらさらなかったが)多少なりとも演劇で培った経験を活かせるのではないかと思い入部した。
予想通り、発声・滑舌は圧倒的な差を周りにつけていた。
「寺本さんすごい、アナウンサー目指せるんじゃない?」と周りから言われていた。
ふふん、といい気になっていた私はまた大きな壁にぶつかる。
日々の練習メニューには基礎の発声練習、滑舌とあわせて、フリートークというものがある。
30秒フリートーク、さいころフリートーク(さいころででたお題に関する内容を話す)、食レポフリートーク、写真フリートーク・・・
これまで中高6年間、脚本に書かれた台詞に思いをのせて忠実に言葉を届けるということに慣れていた私は、この自由に話し続けるというフリートークがとてもとても苦手だった。
特に食レポなんてやってしまうと「ああ、このチョコレートとイチゴのハーモニーが・・・」なんて彦摩呂も唖然としてしまうほどの拙い薄っぺらい表現しかでてこなくなってしまう。
同期はめきめきと上達していった。
私はとにかく早く追いつきたくて、あらゆるグルメリポートをテレビでみた。
ああ、このときはこんな表現をするんだ、げてものを食べて「おじいちゃんちの味がする」といって笑いをとっていたアイドルから学び、堅いものは「噛み応えがある」といえば聞こえがいい、「油がさっぱりしている」なんて一見矛盾した言葉を二つ並べるのかなるほど、とひたすらボキャブラリーを増やしていった。
アナウンサーを目指していたわけではないが、あのとき蓄積した言葉たちは私の宝である。言葉を一から生み出す楽しさを知ることができたのはこの4年間があったからこそだ。
今年の2月、ニューヨークの有名な昆虫食をだすレストランで蟻とバッタを食べた。
あまりの不味さに「まじっ」としかいえなかったけれど。
超言葉術のあとがきの「才能とは、掛けた時間である」を読んで、やっとあのときの自分と向き合えた。
第三章 大丈夫の魔力
大学を卒業した私は、女優でもなくアナウンサーでもなく、まさかの看護師の道に進んだ。
「寺本さんが個室にいるとナースステーションにまで声が聞こえるのでプライバシーだけ気をつけましょう」
師長からの人事考課ではこんなことを言われてしまった。
しょうがないのよ、お腹から声がでるようになっちゃってるんだもん。
一見、言葉と縁がないような世界だが、看護の世界は「言葉」がケアにもなる。言葉で他者を癒やすことができる。
脳梗塞で片麻痺になってしまった患者さんがいた。
まだ40代と働き盛りの方だった。
父親が涙を流すところすらみたことなかったわたしは、「おじさんが泣いているところ」を初めて見た。
おじさんが泣いているのをみるのは、小さな子供やおばあちゃんが泣いているのをみるよりもっとつらいんだと思った。
大きな背中が激しく揺れている。
掛ける言葉がなかった。
私はぐっと堪えながら、「大丈夫です。絶対、大丈夫です」って繰り返し繰り返し言った。
「おまえに何がわかるっていうんだよ」と言いたかったに違いない。
私ならそう思う。「なら、あなたが変わってよ、なんでわたしなのよ」と殴りたい。
でも、おじさんは「ありがとうありがとう」と言いながら、おいおい泣いていた。
言葉の矢印は、届いていたのだろうか。
掛ける言葉が見つからないという経験を何度も何度もしてきた。
目の前に苦しんでいる患者さんに、
絶対に完全に気持ちを共有できない相手に、
正解の言葉なんて存在するのだろうか。
長文の励ましより、根拠のない「 大 丈 夫 」のたった3文字で人は救われるときがあるのだから、
人間ってよくわからない、けど、人間ってそんな生き物なのかもしれない。
阿部さんは著書のなかで、
「自分の何を相手に覚えてもらいたいのか」を決めよう。
と書いている。
私はあのおじさんに、「根拠はないけどどんなときも大丈夫と言ってくれるひと」と思ってもらいたかったのかもしれない。看護師としてはだめだめだ。根拠がないなんて、医療の道理から外れている。
でも、人間弱っているとき、そんなひとが最低一人は必要だから、わたしはそうなりたかったのかもしれない。
そんなことを思い出した。
第四章 発信から開ける世界
いろいろなことがあった末、大学院留学をしたい、と思うようになった。
看護師、大学院、留学。恐ろしく情報がない。
備忘録を兼ねて、ブログを開設した。
今日は英語のこの単元を勉強した、とか
奨学金のこの情報をゲットした、とか
アクセス数0、自分のための備忘録だ。
ところが、ツイッターを解説し、ブログを更新しつづけていると不思議なことに同じ留学を目指す仲間の輪ができてきた
合格が決まったあとは、「参考にしています」と本当にたくさんの輪が広がっていった
総訪問者数 22000人。
自分のための備忘録で始めたブログが、2万人の方が見に来てくれた。
言葉を活字として発信しだす楽しさを実感できるようになったのはまぎれもなくこのブログのおかげだ。
念願叶い、留学のため渡米したあともずっとブログは続けている。
ただ、「見られる」のを意識すると、自由に内容が書けなくなるというわだかまりも感じるようになった。
下書きボックスにどんどん記事がたまり、投稿しないままになってしまっているものがたくさんでてくるようになった。
アクセス数を毎日のように意識してしまうときもあった。
ネットで夜の21時は一番人に見てもらいやすい、というのをみてからはなんだか夜の21時まで投稿を待ってしまう、そんな小細工までするようになったときもある。
備忘録から人に見せるブログへ、
喜ばれたい、認められたい、参考にされたい、そんな「欲」の積み重ねは本当に自分が書きたかったものなのか。
阿部さんの文章に救われた。
一つだけ決めていることがある。自分の気持ちを置き去りにしない。それをしてしまったら、しんどくなるだけだ。
有名なコピーライターでさえも「自分」を優先しているんだ、という事実に正直びっくりした。
自分なんて約3年かけて東京ドームがやっと半分うまるかどうかくらいの訪問者数だし、ツイッターでバズった経験もなければ全然すごいひとではないのだけど、そんな私でも「見られる」ことを意識してしまうときがあったのだから、売れっ子の作家さんやコピーライターさんの苦悩はもっともっと計り知れないものだろう。
一番の読者は自分、自分を置き去りにしない、自分のために書く。
最終章 言葉
小学生からの夢が叶った。
「作家」になるという夢だ。
ありがたいことに、文章を仕事にできる日がきた。
留学をしている現在、2本のメディア媒体で連載をさせてもらっている。
小学生の自分が聞いたらどう思うだろうか。
小説の作家とは少し違うけど、でもね、今のわたしは文章をたくさんの人に届けられているんだよ。
文章でお金をいただく、これがどれだけ自分の人生のなかですごいことか、そのありがたさは今も噛みしめている。
それでもっと言葉に磨きをかけたいと思って手に取ったのがこの「超言葉術」だったのだ。
しかも縁を感じてしまったのは私の連載の担当者さんのお隣のデスクの方が阿部さんにとても近しい方だったのだ。
なんという伏線、神様すごすぎないかい。
台詞で、食レポで、看護のケアで、ブログで、そして連載で。
言葉を紡いで伝える、この作業は私の人生を形作ってきたものだし、これからも生涯続けていきたい。
『超言葉術』を読みながら、自分の言葉と歩んできた歴史を一緒にたどることができた。
大げさなようだけど、私は今両手が腱鞘炎になりそうなくらいものすごい勢いでこれを書き終えようとしている。
あまり内容を書きすぎるとネタバレになるのでこれで最後にしておく。
この世の中で大嫌いなものランキング、カエルが1位で、本のネタバレが2位にランクインするくらい。
落ちていく気持ちを知りながら、上がっていくための気持ちを選べること、それこそが希望を持つ人だと思っている。
この一文の破壊力。
完全に心をつかまれた。やられた。
演劇でも、アナウンスでも、すぐ調子に乗っては突き落とされた。
看護なんてもう数え切れないくらいの回数どん底に突き落とされた。
留学中も、何度も何度も何度もハプニングが起こってはまた穴ボコに落っこちるのだ。
それでも、言葉が上を向かせてくれる。
「なんとかなるさ」「大丈夫」「また次があるさ」
もう上を向けないんじゃないかって思うときは何度もあった。
それでもしぶとく、言葉を紡いで誰かに伝えることを続けた結果、たくさんの人が助けてくれた。
さて、私の両手指の限界がきている。
約5000字の読書感想文、こんな長くなる予定はなかったけれど、果たしてここまで読んでくれたひとはいるのかしら。
読書感想文というよりもラブレターに近いかも。
あわよくば阿部さんに届いていたら嬉しい。
5000字越えのラブレターなんてリアルで書いたらどん引き案件だが。
ここまで読んでくれたひとがもしいるのならば、今すぐアマゾンでポチるしかない。
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この本のキャッチコピー、読み終えた今のわたしならこうつけよう。
「言葉と私が歩んできた歴史を、ともに辿れる一冊」
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