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映画「モアナと伝説の海」の指輪 〈映画の指輪のつくり方〉第62回

自分を呼ぶ声がする
2016年公開映画『モアナと伝説の海(Moana)』
文・〝美根〟(2022年6月20日連載公開)

先日、小さい頃に行っていた歯医者に久しぶりに行った。今まで違うところに行っていたのだがカムバック。行きは一番わかりやすい道で行ったのだが、帰りは探検しながら帰った。なんとなくでしか覚えていない小道に入って進んでいく。新しい家々が建ち、景色も変わっていたけれど、そういえばあった!と記憶から蘇ったお店やスーパー、謎の豪邸などを目印になんとか元の帰り道に戻る、というのを繰り返して帰った。スリル満点。昔は見慣れていた景色だけど、新鮮さに遠くまできた感覚。私も時間を超えて遠くまできてしまった。子供の頃の自分はどう思うだろうか。子供の頃からディズニーが好きでよく見ていたのだが、大人になってからは知っているのを時々見直すくらいで、新しい作品は見る前に「面白いのかな?」と疑ってしまうようになっている。でも今回紹介する「モアナと伝説の海」は私の偏った予想を裏切りとても胸に響く傑作だった。

民を助けるために少女は海へ出た

モアナは、モトゥヌイ島の村長の娘として生まれた。島にはある伝説の物語が語り継がれていた。「1000年前、万物を作り出す女神テ・フィティの心が、半神マウイに盗まれた。均衡が崩れてしまった世界が闇に包まれる前に、海に選ばれし者がテ・フィティの心とマウイを見つけ出し、共に元の場所へ戻す旅に出なくてはならない。」という伝説だ。

モアナは、幼い頃から海や珊瑚礁の外の世界に憧れていた。成長するにつれて、次の村長としての使命を受け入れ日々を過ごしていたが、海への憧れを捨てきれず葛藤していた。そんな中、村で不作や不漁が続くようになる。島や人々を助けるため、モアナは海にでる。という話。

キャラ設定、物語、全てがすごい

この話の良いところ一つ目は、モアナが超良い子だということ。「外の世界をみたい!」という好奇心だけで突っ走るようなトンデモ娘ではない。海に憧れる気持ちと、次の村長として村の人々を守りたい(男性だけが後継者になるルールじゃないところも良い)、そんな使命を受け入れ、期待に応えたい気持ち。その葛藤の中、家族や村民を思いやる優しい女の子なのだ。そこがまず良い。共感する大きなポイントになる。そして、そんな海への憧れは、モアナたちの先祖が大海原を超えてやってきた旅人であったこととも繋がり、モアナ自身のアイデンティティや強い憧れの理由づけが、冒頭で行われる。ここが筋書きとしてうまい!

モアナの幼少期のシーンで、海がまるで生きて意思を持っているかのようにモアナと対話し、テ・フィティの心(緑の光る石)をどうぞ、と渡すシーンがある。しかし、モアナはその石を落としてしまい、親に抱き上げられ家に連れて帰られてしまったことで探すことも出来ぬまま、大人になるにつれそのことも夢だと思うようになってしまう。でも、その場面をこっそりみていたモアナの理解者である祖母タラが石を拾っており、旅に出るモアナにテ・フィティの心を戻す選ばれし者はモアナであることを告げ、手渡す。
ここで、心をもとの場所へ戻すため、ひいては民を救うため、という新たな使命を胸にモアナは海に出るのだ。ここまでの流れがしっかりしている。

ただ、ここですごく大きなポイントなのが、「本当に自分は選ばれし者なのか、なぜ選ばれたのか?」ということ。モアナ自身も人々を救うために旅に出るが、なぜ自分が選ばれたのか自信がない。これは見ている観客も思うところだ。「選ばれたから主人公なんでしょ?はいはい!」と捻くれた私なんかは思ってしまうのだが、このワケを教えてくれるシーンで、「あ、これはモアナだけじゃない、私たちの物語なんだ」と思わせてくれるからすごい。

また、モアナが途中で出会う半神マウイの存在感も面白い。喜ぶことをすれば自分をヒーローにしてくれる人間のために、テ・フィティの心を盗んだマウイ。結果、世界の均衡が崩れ、悪名のみが知られることとなってしまった。変幻自在に姿を操れる神の釣り針を持っているが、これがないと自分には存在価値がないと思ってしまっているところも、マウイの孤独さ、キャラクターの奥深さがわかる。そしてモアナの自信のなさともリンクする。

うまくマウイの良さを引き出すのが、ミニマウイ!かわいい!マウイの体に現れた動くタトゥーでマウイの本心や良心としての役割を担っている。悪役かと思われたマウイを信頼のおけるキャラクターにしてくれる、素晴らしい設定だと思った。

映像美、たくましくなれる唄!

さすがディズニー、海のアニメーションは、うるうる豊かで美しくて見ていて飽きない。そしてマウイが繰り広げるアクションも迫力がある。

主題歌「どこまでも~How Far I’ll Go〜」も好きなのだが、タマトアという巨大なヤシガニが唄う「シャイニー」という曲が、面白いので聴いて欲しい。楽しいけど怪しげな展開へ向かうときの不気味さったらない!ぜひ楽しんで欲しい。

私は本当に選ばれし者なのだろうか?

先ほど、「私たちの物語なんだ」と思うとを書いたが、ぜひこの作品を見たときに、モアナの「遠くまできた」「ここまできた」という気持ちを、私たちの時間に置き換えて考えてみてほしい。

おそらく多くの人が、子供の頃、自分にとって特別なものを見つけ、褒められたり、認められることで、自分は特別なのかもしれない、選ばれた人間なのかもしれないと思ったことがあるんじゃないかな。でも成長すると共に、「本当にそうなのかな?」「自分よりすごい人たちはたくさんいる」と自信がなくなっていく。ここで重要なことは、進んできた道、進みたい道が、自分で選んだ道だと思えているのか?ということなんじゃないかと思う。自分で信じた、自分で選んだ私なんだと、そう思えたら、強くなれると思う。

私は人のせいにしたり、自信がないなぁっていう気持ちに飲み込まれがちだっただから、これを見た時、大切な時に、大切なことをモアナは教えてくれたと思った。あの、星が満ちた夜の海のシーンはたくさんの人に見てもらいたい。

自分で決めた道を、自分で切り拓いていこう。私が私であることが、全ての理由と自信になるように。

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モチーフ:テ・フィティの心の石、海、神の釣り針、オール、鳥のヘイヘイ
音楽:カバー「どこまでも〜How Far I'll Go〜」
   bgm「シャイニー(Shiny)」「俺のおかげさ(You’re Welcome)」

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