noteを始めた
こんばんは。今日noteを始めてみました。
きっかけは、気づいたら”アサラー”
noteを始めようと思ったのは、普通の毎日に色をつけようと思ったから。
最近、急に”アサラー”って言葉が急に身近に感じ始めて、そっか、私アラサーなんだって。そう、生まれて30年も経つのです。気付いたら1年経ってたっていう経験、多くの方がしてると思う。特に社会人になってから、私もそう。そうして時を重ねて、30年経っちゃった。そしてそれは、意識して1日を過ごしていかないと、あと10年後に「気付いたらアラフォー」を招くと気づいた。
何もしてなかったのかな…
社会人ってどうしてこうも一瞬で過ぎていくのだろう。週5で働いて週末休んで、お給料も貰えて、会社の人にも恵まれて。こんなに恵まれてるのに、それなのにどうしてこんなにもに薄いんだろう。私この数年何してたんだっけ?
色と彩り方
濃い毎日ってどんなだっけ…ふと、小学生の頃を思い出す。何をしてたとかそういう記憶は正直薄い。友達もいたし、そこそこ楽しかった。どちらかといえば静かな子だったように思う。特に濃い思い出があるわけじゃないけど、確かにあの頃は1日が濃かった。というよりは鮮やかだった。1日の中に沢山の色があった。
朝、ランドセルを背負って黄色い帽子を被る。帽子が耳元でカサカサする音、ランドセルの横につけた給食袋がガチャガチャと音を立てて、急いで階段を降りる私を追いかけてくる。登校班の朝は早い。そして寒い。冬、学校に行くまでの道に霜が降りていてそれを踏むのが好きだった。シャクザク、朝の太陽に照らされた霜が、銀、白、少し泥がついて茶色に光る。私の心はその時、はっとしてその綺麗さに心を奪われていた。次の色を見たくてまた霜を踏む。シャクザク。
ここまで思い出して同じようにはっとする。いつから私は霜に気づかなくなったんだろう。家を出て、登校する。普通のたった15分程の時間にどれだけの輝きがあっただろう。音、色、温度、そして心の動き。これが一瞬に色をつける。これを繰り返して1日を彩るんだ。当たり前にあったのにその色を今も思い出せるのに、私は彩り方を忘れてしまった。彩り豊かな1日を重ねた1年があっという間に過ぎるはずがない。カラフルな糸で織られた一年は、後ろを振り返った時に、綺麗な織物になって私の足元に敷かれているだろう。少なくとも小学生の私が立つその足元はとてもカラフルだった。
人生は反物
人生が反物だとしたら、1日は糸。何色の糸にするか、どんな素材にするか、それは自分の心が彩ってくれる。ここ数年私は淡い色が好きだったみたいだ。それも悪くはなかった。穏やかで濃淡の差がない色。でも振り返って、30年分の織物を見た時、私はカラフルな織物が好きだと思った。今はカラフルな織物が織りたい。糸の色の付け方は思い出した。普通の毎日に色をつけよう。あの頃と同じじゃなくていい、今しか出せない色があるはずだ。出来るだけ多くの色を。気づいてないだけで沢山持ってるはずだから。
そんなことを思って、また忘れてしまわないように、忘れてしまって思い出したいと思ってる人と一緒に踏み出せるように、noteに記しておこうと思った。人生は何もしなくても、色の付け方を忘れても織られていくけれど、私は自分の色で織りたい。振り返って思い出せるように、網目がぐちゃぐちゃでも色が汚くても、綺麗だと思えるように、自分の意思で織っていきたいと思う。
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