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海外企業からのオファーを辞退して日本にいることを選択をした日

2020年11月18日、
第一志望であった海外企業からのオファーを辞退し日本にいることを決めた。

今振り返ってみても私の人生で1、2を争う大きな決断だった。この記事を書くまでに何度も書いては消してと書いては下書き保存を続けたため同テーマの下書きが笑ってしまうほどたまっている。

これは子どもの頃からの夢を諦めた、とか
コロナで夢を奪われた、とか
そういう話ではない。

頑張り続けないと幸せになれない、
結果を出さないと自分には価値がないと思い込んでいた私が自分にとって本当に大事なものは何かを考え、答えを出し、決断するまでの葛藤の話だ。

2020年1月、
第一志望の海外企業から正式オファーの連絡をエージェントからもらった。東京駅丸善丸の内本店にいた私は人目も憚らず泣いた。子どもの頃からの夢が叶った、そんな瞬間だった。
そこに至るまでも様々なことがあった。
時々、自身でもびっくりするくらいの活力に溢れて決めたことをやる、実現するということをやってきた。

決める時は大抵応援してくれる人はいない。親からは毎回大反対をされるし、周りからはへ〜すごいね笑、そんな反応の方が多かったような気がする。そんな周囲の反応が私をより一層駆り立てた。(もちろんいつも応援してくれる人もいる。)

見てろよ
負けない

そんな反骨精神のようなものが私のエネルギーの全てだった。そうして叶えたことの1つが海外企業からのオファーだった。

2020年4月、
私を乗せるはずだった飛行機が飛ぶことはなかった。コロナが世界中で猛威を振るい日本では非常事態宣言の発令、海外はおろか、家の外に出ることさえままならない日が続いた。

当初、非常事態宣言解除後すぐに発つ予定だった。前職では送別会まで開いてもらい退職済み、すでにVisaも発行済み、海外移住でしか使えないような超特大のスーツケースも買い、家の中のものは売ったり、捨てたりして殆どない状態だった。

時間だけが唯一あり、いやでも自身と向き合うことが増えた。焦りと不安があったのだ、と今ならわかる。いつ日本を発てるかもわからない、発てたとしても、英語を使い、現地の言葉を覚えて、新しい会社の仕事を覚える。休んでいる暇はないと思った。ずっと勉強をしていた。そんな状況が続いたある日、ふと思ってしまった。

「休んでいる暇はないっていつまで?いつまで私は頑張り続ければいいのだろう。」

誰から言われたわけでもない、自分がやりたいと思って始めたことなのに気がついたら全く楽しめなくなっていた。そして自分で始めたことがいつしか「やりたい」ではなく「やらなければいけない。」に変わっていたことに気がついた。そしてそれは終わりがなく、果てしなく続いてしまうものだとも気がついた。どれだけ頑張り続けても「まだまだ。私なんて。世の中にはもっと頑張っている人がいる。」そんな風にいつも感じていた。「もっと頑張らないと。もっと頑張らないと幸せにはなれない。」そんな感覚だった。

そして夢を叶えたとしてもその考えが消えないことに気がついてしまった。きっとその先も何を叶えてもずっとそうやってどんなに頑張り続けてもまだ足りない、このままでは幸せにはなれない、と思い続けてしまうであろう自分自身に気がついてしまった。

一方で、じゃあ私はそもそもどんな時に幸せだと感じるのだろうか、とも考えた。これまで一度も幸せを感じたことがないのか、と問われると間違いなくNOだった。

大切な人たちとご飯を食べておいしいを共有できること
大切な人たちと目的も結論もない他愛のない話をすること
大切な人たちと一緒にすごすこと

そんな時間にとても幸せを感じていたし、励まされていたことに気がついた。コロナ禍でそういったこともなかなかできなくなってしまって心が酷く消耗した。オンラインでは話していたし、オンライン飲み会もたくさんした。それでもやっぱり私にとっては直接会えること、直接話せることに勝るものはないとコロナが流行したことで初めて気がついたのだった。

そこからは本当にずっと決断に迷った。頑張って叶えた子どもの頃からの夢、あとは日本を発つだけだった。やらなければならないに変わってしまったけれど、心の底からやりたいと思っていたことでもあったのも事実だった。2020年は30歳になる年で、なんとなくそれが最後のチャンスのような気もしていた。人に影響を受けやすいことを自覚していたから、決断するまでは相談をしないことを決めていた。誰かが何気なくいった一言に他意はないのにその言葉の裏側を探ってしまいそうで、本当かどうかもわからない「私がそうだと感じたこと」を事実と捉えてしまいそうでこわかった。それならば、と決断をするまで本当に何をどう考えているかを話すことをしなかった。


そうして悩み、考え抜いて出した答えがこのnoteのタイトルだ。
私は私が幸せだと感じるものを大切にしたいと思った。頑張り続けて叶える幸せではなく、今すでにある幸せを大切にしたいと思った。世間一般的にはどうかはわからない。けれど私にとってはそれが正解だった。

それから3年が過ぎた。
今の仕事は正直順風満帆とは言い難い。けれど、あの時やっぱり日本を離れて海外移住をしておけば良かったとは一度も思ったことがない。仕事はおそらく、海外での仕事のほうが向いていたと思う。(それまでのキャリアを活かせる仕事であった。)それでもやっぱり何度考えてみてもあの時の決断を後悔したことは一度たりともない。今の生活で大変なことは山ほどある。それでもあの時真剣に自分自身と向き合ったからこそ後悔のない決断ができた。

まだまだプロセスの途中で、頑張り続けないと、と思うこともある。でも、そんなところも含めて私だよな、と思うようになったあたり、3年の変化をとても感じている。

2020年11月18日、
この日のことをこれからもきっと何度も思い出す。その度に自分は何を大切にしたいのか、そんなことを何度も何度も自身に問いかけ続けたい。



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