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マンガを学問に変えた人〜川田潮氏を悼む〜

2022年9月29日は、1972年に田中角栄・周恩来両国首相が「日中共同声明」に署名し、 日中の国交が正常化してから50周年の記念すべき日にあたります。

その時、訪中した田中角栄首相を周恩来首相が迎えた際の言葉として知られている「飲水思源(いんすいしげん)」は、中国の故事成句の一つ。「水を飲む者は、その源に思いを致せ」という意味。広く解釈して、「井戸の水を飲む際には、井戸を掘った人の苦労を思え」という意味で使われています。

ANA(全日本空輸)の2代目社長の岡崎嘉平太氏も「日中国交正常化の井戸を掘った人」と言われていて、以前そのストーリーを弊社でマンガデザインさせていただきました。

「井戸を掘った人=人のやったことのない新しいことを成し遂げた人」ということができます。僕がもっとも尊敬する人のひとり、故中村哲氏は、まさにアフガニスタンに井戸を掘った人であり、故スティーブ・ジョブズ氏はスマートフォンの井戸を掘った人になります。

僕が2006年から今日まで18年間にわたりお世話になっている大阪芸術大学にも、漫画家などを希望する学生たちに希望の井戸を掘った人たちがいます。今回は「水を飲む際には、井戸を掘った人の苦労を思え」の如く「マンガの仕事についた学生は、その井戸を掘った人の苦労を思え」に値する人の話を書きます。

学士とは、「学問を行う者」を原義とする言葉で大学を卒業した者に与えられる学位です。2005年に大阪芸術大学は芸術学部キャラクター造形学科を日本で最初に創設しました。マンガを学ぶ学生たち、つまりマンガ家を志望する学生たちに学位を与える道を築いたのです。(次いで翌2006年に京都精華大学が日本初のマンガ学部を創設しました。)

これにより、それまで主に専門学校で学んでいたマンガの世界を、学位を与える学門の世界に変革し、デジタル時代に対応するコンテンツ文化活動の領域拡大が本格化しました。

その大阪芸術大学キャラクター造形学科の新設のために奔走した人たちがいました。その中心はもちろん初代キャラクター造形学科の学科長で2019年4月17日に逝去された故小池一夫氏。小池学科長については『マンガデザイナーズラボ10周年記念❸~大阪芸術大学での出会い~』に詳しく記しています。 

また、2005年のキャラクター造形学科新設の前年2004年から準備に奔走した中のひとりに小池一夫先生の劇画村塾の塾生で、後にキャラクター造形学科マンガコースの教授になった川田潮氏がいました。

その川田先生の突然の訃報(2022年7月9日逝去)に接したのが、7月の中頃でした。2021年11月18日に竣工式を済ませ、2022年4月から新入生を迎えたお城のような新校舎の前の駐車場で愛車のアルファロメオをカッコよく乗りこなす川田先生に「新校舎案内してください」とお願いして「いつでもどうぞ」と短い会話を7月初旬位に交わしたのが最後の会話でした。だからこそいまだに全く信じられません。

川田先生と初めてお会いしたのが2005年の後期。
先生たちが未来に繋がる井戸〜キャラクター造形学科〜を新設した初年度でした。僕を「メディアの基礎」の特別講師として招いていただき、翌2006年から正式に客員教授として招聘された時だったと記憶しています。

40代前半の川田先生の雰囲気はずっと変わらず、美声も素敵でめちゃくちゃカッコよかったです。大学では小池先生やバロン吉元先生、菅本先生、林先生らとよく打ち合わせをしました。いわゆる飲み会も今年になってもずっと続いていてメンバーは川田先生、菅本先生、林先生。僕がデザイン学科に所属が移った後もずっと懇意にしていただきました。

川田先生が好きなギターと釣り(ルアー)と車の話でいつも話は弾んでいましたが、なによりも好きなのが学生たちでキャラクター造形学科の現役生・卒業生の話でいつも最後は盛り上がっていました。

こうやって書いていると、すぐそばに川田先生がいる気がします。特に、月曜日・火曜日にキャラクター造形学科新校舎の前の駐車場に車を停めると、白のアルファロメオを探してしまいます。

後期講義の最初の夜(9月12日)に林先生と二人で、かつてみんなでよく行った中華料理店で川田先生に献杯を捧げました。たくさん先生の話をしました。片見分けでマンガデザイナーズラボの大阪芸術大学キャラクター造形学科の卒業生がみんな学んだ、川田潮氏著でマンガ家希望のアナログデザインのバイブル「マンガ制作テクニック(小学館プロダクション)」をいただきました。

マンガ制作テクニック(小学館プロダクション)表紙

僕はマンガを全く描かず、企画プロデュースをしているのでこれまでこの本を読んだことはありませんでした。そのため、林先生から渡されて初めてページをめくって驚きました。95ページに僕が。それも小池先生と林先生と一緒に。こんな絵を川田先生に描いていただいていたとは。
直接お礼を言うことはもうできませんが、とても素敵な思い出をいただきました。本当にありがとうございました。

マンガ制作テクニック(小学館プロダクション)P.95より抜粋

大阪芸術大学のキャラクター造形学科の在校生や卒業生にいつまでも「学生をこよなく愛し、学生たちのためにマンガを学問に変える井戸を掘った川田先生がいたことを未来永劫語り継いでいくことをお約束するとともに、僕も川田先生に近づけるように大阪芸術大学の学生たちにずっと寄り添っていきます。天国でギターを弾きながら見守っていてください。合掌」

最後に、マンガデザイナーズラボのキャラクター造形学科の卒業生の追悼文を似顔絵とともに紹介します。


7月に川田先生の突然の訃報をお聞きしとても驚きました
心からお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈りいたします

私自身は学生時代、川田先生とはあまり深く関わりがありませんでしたが
学科イチ男前で学生から人気者の先生でした
学生からの信頼も厚くキャラクター造形学科の力強い礎であったと思います
マンガの世界で生きてこられた方々が亡くなられると
私たちが生きている世界はマンガの世界ではなく現実なのだと強く感じます
マンガの世界では永遠にロックで男前な川田先生で…!
どうか安らかにお眠りください

キャラクター造形学科 卒業生中本 優 (Q06114)

僕の漫画人生のターニングポイントには
常に川田先生がいました。
もう一度大阪芸大でお会いしたかったです。
本当にありがとうございました。
ゆっくり休んでください

キャラクター造形学科 卒業生 安達裕太

ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。

学生時代、大変お世話になりました。
沢山の学生さんに慕われる素晴らしい先生でした。

安らかにお眠りください。

キャラクター造形学科 卒業生 Q07003 板垣翔子

(以下、2023年6月12日追記)

川田潮先生の追悼展が2023年7月7日(金)〜23日(日)まで大阪市阿倍野区昭和町の「sweets gallery ℃ sesshi」で行われます。

お別れの会も兼ねての開催とのことで、7月9日(日)がちょうど一周忌になります。マンガを学問に変えた、皆様の恩人の作品に是非ふれていただきたく、よろしくお願いいたします。

(以下、2023年7月17日追記)

7月17日に川田潮追悼展に行ってきました。タイトルは「馬とギターとピンポンパール」。ピンポンパールとは、手まりのように丸々とした体型と、真珠状に輝く美しい鱗をもつ金魚のことです。

大阪芸術大学短大の林先生と一緒に行ったところ、大阪芸術大学キャラクター造形学科のいわみ先生と沓澤先生に追悼展示会場でお会いしました。川田先生が機会を作ってくださったのですね。グラフィックデザイン中心の素敵な展示でした。

会場は川田先生の奥様が懇意にしている「みかくとしかく味わう空間」℃(sesshi)。とても素敵な空間で、ぜひ今後も行かせていただきます。

みかくの味わい」で僕が味わったのは季節のジュース、「まるごと桃のジュース」です。このみかくは美味しいと言う言葉では伝えられないクリエイティブでした。写真で伝わるかなぁ。

そしてたっぷりの「しかくの味わい」をしてきました。
これは展示されていた唯一のマンガ作品でした。

次からはグラフィック作品です。

そしてピンポンパールの作品。

実際のピンポンパール育成は奥様がされていました。

絵も金魚(ピンポンパール)も生きています。川田先生も僕の中では生きています。記帳も芳名帳もない追悼展。「川田先生に会いに来て」とおっしゃっている、お会いしたことのない奥様の気持ちがしっかり響きました。

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