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読書感想 頭を鍛えてやわらかくする本の読み方

昨日は宿直勤務で夜しっかり眠ることができた。
なかなか久しぶりな快眠状況でしたので、勤務もすこぶる快調ではあったはずが、昨日は家に帰ってきてからは爆睡。
昼寝を2時間、普通に7時間睡眠。
朝寝坊して、若干バツの悪い朝のスタートだった。
そんな朝だったが、眠い目をこすって、子供のゲーム機、インターネット接続のために、祖父母の家に子供に誘われて行ったことが吉と出る。
朝外に出たので、もうそのまま散歩に出かけようと思って。もう、そうしたらモーニングルーティンがどんどん終わっていくので、朝の時間が長い長い。
まぁそんなこんなで今日も読書感想をまとめていきたい。

今日の読書感想は、音声入力で試しにやってみている。何故かと言うと、いつも読書感想をする時、ライティングをするときは、私の愛するiPadちゃん活躍してくれるのだが、そのiPadを職場に置いてきてしまったからである。
今日はiPhoneでまとめているわけだが、せっかくなので、音声入力でやってみようと考え、挑戦している。多少の誤字脱字はご容赦いただけると幸いである。

今日の書籍は「アートの力美的実在論 マルクスガブリエル著」である。



まず感想のまとめから。

「ザッピング読みは、自分の頭を鍛えて、柔らかくする効果のある読み方。だって自分が読みやすいジャンルではない語彙や言い回しがたくさん出てきているから。まるで違う技法で絵を描いているようだ。」

どういうことか。

要するにこの「アートの力美的実在論、マルクスガブリエル」は、全然私の読解力では読むことができなかったと言う恥ずかしい結論である。

この感覚は、橋本五郎さんが書いた「安倍晋三回顧録」と同じような感覚がある。

あの本も全然読めませんでした。言葉が全然頭に入ってこないこない。

話を戻して、このアートの力の本の中で、私のアンテナに触れた一節を書き残しておく。

アートとは何か?と言う疑問に対して、私はこう答えたい。すべてのアート作品がそれだ。ジョセフコスースも述べるように、アートを定義するのはアートである。これは無益な同語反復(トートロジー)ではないし、アートの本質を通ることから逃げているのでもない。「アートを定義するのはアートである。」と言う主張の意味は、まさにラディカルな自律性と言う着想を告げていることに他ならない。つまり、アートはラディカルに自律した個体であると言うことだ。

アートの力

要するに、アートは他から影響を受けるものではなく、アートはアートであると言う身も蓋もない結論である。

そこに尾ひれをつけるなら、ラディカルな自律性と言う点であろう。

ラディカルと言うのは、「過激な」という意味が含まれる。自律性は文字通り自分を律する要素を指す。


私がまとめるに、ラディカルな自律性と言うのは、他から影響受けない突飛な自己満足とも言えるそんな存在という意味に思える。これがアートなのではないかと。

冷静に考えてみると、まぁそうだよなとも思う。

子供たちの図工の絵を見ると、まぁ、アートではないなと。だってお題が決まっているし、授業の中でやっているものなので評価も受ける。そのことを怒返しして絵を描いているようにはやはり思えない。

そうするとアートと言うのはこの現代社会の中でもあまり多くないのかもしれない。
しかしながらこのアートと言う概念存在は間違いなく必要なものである。なぜなら、人間が本来持ち合わせているラディカルな表現の自由を確保しておくことが人類の発展には不可欠だと思うからである。

ちょうど朝の散歩で、ラジカルシンキングについてラジオを聞いていたので、このラディカルな自律性と言うワードが引っかかったのかもしれない。

音声入力で読書感想してみたが、これはメリットデメリットなのかよくわからないが、もう1500字を超えている。時間ではまだ大体30分位である。
私は言葉がすらすらと出てくる方ではないので、この文を絞り出すのにかなり四苦八苦した。
でも30分で1500字以上かけるのであれば、これはこれでメリットなのかもしれない。何がデメリットかと言うと、推敲するのにややめんどくささを感じてしまう。辞書機能がもう少し向上してくれるといいなと思う。

パスカルが言う「今日は時間がないので手紙が長くなってしまった」みたいに、ダラダラと書いてしまったように思う。

最後まで付き合ってくださった方、どうもありがとうございました。

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