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読書感想 論理と感情、内容と人

今日は、宿直勤務明けで、一日お休み。
いつもだと、散歩したり、読書したり、note書いたり、音声録音したり、ランニングしたり、焚き火したり、買い物したり。
結構休みの日の方が忙しくなるのだ。マジで分刻み。勝手に盛り盛りにスケジュールを入れまくっている。

今日は、そんなこともせずに、メンテナンスの日と決めた。
なぜか。
最近朝起きると、目やにが右眼にべっちゃり。(汚くてすみません)
こりゃいかん。
よく見てみるとデキモノもあるではないか。
そして、左眼の見え方も若干気になっていたので、眼科に行こう!

そして、今日朝起きたら、左耳がキーン。
耳鳴りを起こしている。
今までになかったタイミングと、ズーンを重い感じもする。
耳鼻科に行こう!

今日は、メンテナンスの日と決めて、体を労わりたい。

と言いながら、読書とnoteは欠かさずにやっている。
「自分、偉いな」と自分で頭を撫で撫でしている。誰もしてくれないので。泣

今日の書籍は、前回の続きで「僕は自分が見たことしか信じない 内田篤人著」である。

まず、感想の結論から。

「自分が経験したことしか信じないということは、自分の感覚・感情を大事にしているということだろう。感覚・感情との相性がいいのは、「誰が言ったのか」である。人間は感情の生き物であるので、「誰が言ったのか」を忘れずに、相手の頭の中を想像するときの材料にしたい。」

どういうことか。
著者である内田篤人さんは、きっと感覚優位な方なんだろうなと思った。(安易に判断してんじゃねー怒)

そして、人を大事にしていることも伝わる。
本書でも幾度となく、あらゆる登場人物が出てくる。
お父さん、お母さん、お姉ちゃん、妹、代理人のアッキーさん、(小笠原)満男さん、(アルビのスカウト)健人さん、などなど。

人情味に溢れた人が内田篤人さんなんだと思った。
だから、感覚・感情が研ぎ澄まされていったのだと推察する。
いや、感覚・感情が人一倍優位であるからこそ、人の温かさに気づける人になったのかもしれない。
どっちが先かは分からない。鶏が先か卵か先か。

「論理と感情」を比較することが多くあるが、それに紐づいて「何を言ったかと誰が言ったか」も繋がる話だと強く感じた。
論理を重視している人は、「何を言ったか」に注目している人。
感情を重視している人は、「誰が言ったか」に注目している人。

私は、論理が強いわけではないが、どちらかというと、感情より論理が優位になる方だと自覚している。
前に、親友と激論を交わして、最終的には喧嘩になったことがある。
それは、「何を言ったか」vs「誰が言ったか」(そもそも答えのない話なのでvs構造にしている時点で最後の喧嘩腰になることは目に見えている泣)

私は、「何を言ったか」が大事だ!と主張。
親友は、「誰が言ったか」が大事だ!と主張。

自分の考え方や価値観を押し付けることはあってはならない。(私が目指している世界ではいらない)
自分の特性を知り、(自分が何を言ったかに注目しがちな人だと知る)
相手の言っていることを受け止めて、(誰が言ったかが大事だと相手の価値観を受け止める)
「こんな世界になるといいよね〜」と話し合えると良いと思う。

去年くらいから「想像」が自分のテーマになっているので、「想像力」を高めて、素敵なイケオジ、イケオバになりたいと思う。

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