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読書感想文 モノがなくてもなんとかなる

雪が降りましたね。
雪が降る前日は最高気温15℃程度だったが、翌日は最低気温が1℃。
気温の変化が激しくて、体がもちません。

極度の冷え性で、足先指先ガッチガチに固まっているのが、とてもキツい。
そんな中でも、雪がしんしんと降る様子や見渡す限り雪で白くなっている景色を見るのも好きなので、冬の季節を楽しみたい。

さて、今日も読書感想をまとめていきたい。
今日の書籍も「人生がときめく 片付けの魔法 近藤麻理恵著」である。






こんまりさんの文、面白いな〜。
何が面白いかというと、実体験から語られていて、片付けのオタク感を満載に出ているところが秀逸である。

片付けまくっているのに、部屋が一向に片付いている感じがしなくて気を失ったことや、片付けのために押し入れの天袋を見すぎたためか、首から肩にかけて全く動か病院搬送したことなど面白エピソードがたくさん。自分の好きな「片付け」にどっぷり浸かっている感じがとても惹き込まれる。
書き方の小手先のスキルより、自分の思い全開の方が、面白い。

今日思ったことは、「モノがなくてもなんとかなる」と思えるようになるは、人間関係にも言えると思ったことである。

こんまりさんの本の面白いところは、ハウツー本ではないところ。
「片付けはマインドが9割」というくらいマインドを大事にしている。

このマインドを身につけると、人生がときめくのだろうとイメージできるのである。

話を戻す。「モノがなくてもなんとかなる」と思えることが最終形として目指したいマインドだなと思う。こんまりメソットとして、「捨てる」→「片付ける」が挙げられている。まずは「捨てる」が先。これを強く主張している。
捨てるときのマインドブロックになるのが「これはいつか使うのではないか」「使う時にないと困るのではないか」である。
私も幾度となく、このマインドブロックにぶち当たる。
そのときに、「取っておく」という選択をしてしまい、モノに溢れかえってしまうのである。

こんまりさんは、モノを触ったときに「ときめくか」否かで決めることをオススメしている。「今後使うか」否かではない。
モノを機能面重視ではなく、自分の感情を動かすマインド重視で見るのである。
この考え方が人生をときめかせるために重要ですよ!というメッセージなのだと私は受け取った。

「この考え=自分の感情が動くかどうかで判断する考え」が実に汎用性がある。
人間関係にも転用できる。
「この人といて心が動くかどうか」
人間関係を築きたいかどうかを判断する。

いやいやドライすぎるだろ!という意見もありそうだが、それくらいにしないと人間関係もどんどん雪のように積もっていく。

習い事についてもそう。「この習い事で心が動くかどうか」
お金の使い方もそう。「このお金の使い方で心が動くかどうか」
日々の行動もそう。「10時までに寝ることで心が動くかどうか。(心地いいかどうか)」

そう考えると、案外やりすぎていることが見えてくる。
片付けでいうと「モノを持ちすぎている」ということ。

こんまりさんの究極は、「引き算の美学」を全世界に片付けというフィールドで本当いう言葉を使って広めたという価値があるのだ。

そして、「モノがなくてもなんとかなる」と思えるようになることというのは、いわば、引けるものがなくて、『「0」になってもなんとかなる』と思えること。

これも汎用性があると考えるのだ。
人間関係もそう。「人間関係が0だったとしても、なんとかなるでしょ。」
習い事もそう。「習い事が0だったとしても、なんとかなるでしょ。」
お金の使い方もそう。「お金が使えなかったとしても、なんとかなるでしょ。(パートナーに相談しよう)(ん?人間関係0じゃなさそうだけど、目を閉じよう)」
日々の行動もそう。「こうしなくちゃという考え方を0にして(例えば夜更かし)しても、なんとかなるでしょ。」

書きながらなんとも苦し紛れではあった。「なんとかなる」だから、「絶対できる」ということではない。次の打ち手は何とでもなるという意味である。

「0」になったって怖くない。

この境地に達成した人が、「依存」から自立へ。「不安」から期待へ。
その糸口が見つかるのかもしれない。

書きまとめてみると、「0」であってもいいじゃんという結論になった。
数年前に「0」について調べて、研究したことがあった。
そして今も「0」という結論。
私の頭の中は、経験したことで構成されているのだなとつくづく感じるのである。

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