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[小説]ある統合失調者の記憶 5話 PCモニター

今回は、長く8100字くらいです。前回は、妄想の入り口に入りかけた話でした。今回は、妄想が次第に形となってきます。


 天才科学者が謎を解いていく有名なテレビドラマで放送しているミステリがあります。天才科学者は謎が解けそうになると、近くにあったチョークやサインペンなんかを手に取り、床や壁によくわからない方程式をたくさん書き始め独自の推理を展開し始めます。意味不明な数式に一体どんな意味があるのかよくわかりませんが、テレビ画面いっぱいに数式が現れては消えていきます。そして、指先を額に押し付けながら数字のイメージが彼の周りに現れ始めて謎を解き始める。彼はお決まりのセリフ「実に面白い」と独り言を言い、ドラマに出てくる刑事たちに謎の答えを教え始めます。
 実際にはテレビドラマのように簡単に暗号資産の市場を分析できるはずはなく、わたしの分析は地味そのものでした。現れては消えていく数字の中から異常な数値を探し出して、その数字にどんな意味があるのかを調べていたからです。わたしは、Mac Book Airのモニターに映し出された黒の画面に浮き上がる無数の白い数字の列として吐き出されたプログラムの実行結果を延々と見ていました。モニターには、次々と白い数値が浮かんできます。

2021-05-xx-21:05:10 BTC 8,151,099 8,151,120 1.01
2021-05-xx-21:05:20 BTC 8,151,120 8,151,075 1.08
2021-05-xx-21:05:30 BTC 8,151,075 8,149,984 3.78

 同じような数値を連続で見つめていると、徐々にモニター上の数字が滲んで見えて画面から浮き上がってくるようでした。プログラムは何度も失敗して、作り直しをしていました。最初のうちは、プログラムはまったく動きませんでした。プログラムはエラーを大量に吐き出し、虫を食べすぎたカエルがゲップをして命の失った残骸を吐き出すようでした。そのうち、プログラムはエラーを少しづつ減らしていき、なんとか動き出すようになりました。それから、動き出したプログラムが投資会社の口座データをうまく利用できないというトラブルが続きました。まるで、子どもが粘土をこねるように、何だかわからないデータが大量に生み出されました。わたしの生み出したデータの形をしたゴミの山は、登山者の前に現れる山のように立ちはだかりました。そのゴミ山をかき分けて、ようやく理解できるレベルまでデータを加工できるようになったころ、世の中はゴールデンウィークが終わっていました。

2021-05-xx-21:07:50 BTC 8,149,095 8,148,301 1.05
2021-05-xx-21:08:00 BTC 8,148,301 8,148,301 5.53
2021-05-xx-21:08:10 BTC 8,148,021 8,149,026 1.74

 わたしは、ゴールデンウィークで起きたことを思い出していました。息子が通うこども園ではコロナ禍の影響で春の遠足が中止になっていました。日本全国でコロナウィルスの話題で持ちきりになり、多くの人がコロナウィルスに神経質になっていました。会社は自宅待機要請からのリモートワークが中心となり、通勤電車から多くの会社員の姿は消えてしまいました。そんな中、年中組の保護者が有志で集まって公園に集まろうという話になるのは至極当然の流れのように思えました。大人が三人集まれば始まるのが飲み会です。たとえ、コロナ禍で飲み会が白眼視されていても、公園という外での空間という気安さもあって保護者会でもビールを囲んで飲み会が始まりました。喘息の既往歴があったわたしの場合、ビール三杯ほど飲むと咳の発作が起き始めます。そこで、公園利用者や保護者のみんなの手前もあり350mlのビール缶を一缶だけ飲んで、息子や他の子どもたちと遊んでいました。飲んだのはたった一缶だけ。でも、そのたった一缶の油断が、喘息を再発させることになりました。

2021-05-xx-21:11:40 BTC 8,147,212 8,147,643 3.12
2021-05-xx-21:11:50 BTC 8,147,643 8,147,656 1.53
2021-05-xx-21:12:10 BTC 8,147,656 8,148,444 1.02

 コロナ禍での喘息患者の立場は、とても弱いものです。病床はコロナ患者に奪われ、自宅療養するにしても血中酸素濃度を測定するパルスオキシメーターは買い占めされる有様です。咳をすれば白眼視。孤独感が募ります。ゴールデンウィークの時は、まだ喘息はそれほど重くなっていませんでしたが、夜になると、眠りに入る直前に咳発作が起きるので眠れず、徐々に発作がひどくなっているのがわかりました。そのため、ゴールデンウィークのほとんどは、喘息治療のためのステロイド点滴をするために通院することに費やされました。長年の喘息治療から点滴には慣れていましたが、点滴を何度もしたことでできた両腕の青あざに気が塞ぐようでした。点滴の量は増え、私の指は細かい震えが止まらなくなっていました。それでも、一向に喘息が良くならないわたしに病院は、ステロイド錠剤を大量に処方しました。

2021-05-xx-21:14:00 BTC 8,149,333 8,150,001 1.12
2021-05-xx-21:14:10 BTC 8,150,001 8,150,221 1.93
2021-05-xx-21:14:20 BTC 8,150,221 8,149,954 1.01

 そうは言ってもゴールデンウィークは、まったく悪いことばかりではありませんでした。コロナ禍でしたが、有名な遊園地に家族全員で行くことができたためです。2021年のゴールデンウィークは、コロナ禍でしたからほとんどの遊戯施設が事前予約制を取っていました。思い返してみれば、息子は、妙に運がよかったと思います。その遊園地には、グライダーのような乗り物に乗って空を飛ぶアトラクションが人気ですが、予想以上にお客さんが来ておらず一日に3度も乗ることができましたから。空を飛ぶアトラクションは、世界中の有名な場所にグライダーに乗って訪れるもので、臨場感ある大スクリーンを飛び、驚くべきことにその土地の匂いも体験できるというものでした。息子は、このアトラクションがとても気に入り、わたしの横にちょこんと座って、目をキラキラさせいつものように口を半開きしながらグライダーに乗っていました。わたしは、その横顔をみて、束の間の幸福感に浸っていました。

2021-05-xx-21:16:50 BTC 8,151,124 8,151,573 1.45
2021-05-xx-21:17:00 BTC 8,151,573 8,150,290 1.02
2021-05-xx-21:17:10 BTC 8,150,290 8,150,002 1.01

 ゴールデンウィークの思い出から、わたしを現実に引き戻したのは、自身の咳でした。喘息吸入薬の使用回数は一日に最大4回と言われていますが、わたしの場合は最大12回まで吸ってよいと医師に言われていました。しかし、喘息吸入薬の使用回数はすでに終わり、あとは咳をひたすら我慢する茨の道だけが待っています。なるべく浅い呼吸をして、咳をしないように気をつけながらモニターに目を移します。今、プログラムは、暗号資産マーケットでのビットコインの市場価格をリアルタイムに刻々と表示していきます。過去の市場価格をデータベース化して、大きな価格変動があったときに他の市場価格と比較し、異常な数値があれば拾い出すのです。そのように、拾い出された異常値を基に、市場価格の増減を分析しようと考えていました。

2021-05-xx-21:25:30 BTC 8,148,098 8,148,120 1.01
2021-05-xx-21:25:40 BTC 8,148,120 8,147,094 3.08
2021-05-xx-21:25:50 BTC 8,147,094 8,145,984 5001.78

モニターは、異常値を捉えました。しかし、市場価格に大きな変動はありません。一瞬見間違えたのかと思い目をこすりました。何度か瞬きをしてからモニターを見てみますと、やはり、モニターの数字は同じ数字を表していました。「5001.78」という数値は、白く並んでいる文字の中で自己主張の強い人のように、他には見えない強い光を出しているように見えました。

2021-05-xx-21:25:50 BTC 8,147,094 8,145,984 5001.78
2021-05-xx-21:26:00 BTC 8,145,984 8,145,484 1.24
2021-05-xx-21:26:10 BTC 8,145,484 8,145,120 2.15

 データは異常値を捉えていましたが、市場価格に影響はありませんでした。何度も分析方法を変えてテストをしていましたが、わたしの考えが間違っていたのかと失望と諦めの気持ちが少しづつ広がっていました。わたしには、投資の才能がないのかと小さなため息を一つしました。そして、家族が寝ているのを邪魔しないように、静かに立ち上がるとキッチンに向かいました。コーヒーを飲むためです。テーマパークに行ったときに買ったマグカップに、インスタントコーヒーの焦げた茶色の粉を入れていきます。湯沸かし器に入った水がお湯へ変わるコポコポという音、沸騰すると聞こえるカチッという音、外から聞こえる微かな車のブレーキのキキーという音、そんな音を聞きながらカップにお湯を注いでいきます。カップに注がれたお湯とコーヒーの粉が混ざり合い、安っぽいカフェインの香りがしました。マグカップにため息に似た息を吹きかけながら、解け切っていない黒い粉混じりのお湯を口に含みます。そうすると、喫茶店でこんなコーヒーが出されたらお客さんが不愉快になるだろうなと思う薄っぺらいアメリカンコーヒーの味が舌に流れていきました。
キッチンから、両手にコーヒーの入ったマグカップを抱えるよにしながら、テーブルに置かれたMac Book Airを見つめます。少し薄暗い居間に、人魂のように滲んだ光を揺らしながらMac Book Airは霊安室で眠る屍のように身動きせずに画面を動かし続けています。わたしの目はあまり良くないので、2mほど離れたMac Book Airのモニターに表示された文字を見ることはできません。しばらく、薄っぺらいコーヒーを舌の上で転がす遊びをしながら、わたしは居間の真ん中にチロチロと揺れる灯りを見ていました。
 そぉっと、キッチンから右手にあるドアを眺めます。居間とドアを挟んで眠っている4歳の息子は、きっと、富士山の形をしたお口をポカンと開けて、プシュープシューと寝息をたてているに違いありません。息子のぷっくりと膨らんだ頬の感触を思い出しながら、コーヒーカップに残ったコーヒーをひと啜りしました。

2021-05-xx-21:32:40 BTC 8,145,094 8,200,012 70.12
2021-05-xx-21:32:50 BTC 8,200,012 8,212,341 35.02
2021-05-xx-21:33:00 BTC 8,212,341 8,221,107 20.11

 チャートをみて驚きました。見間違えたのかと思ったほどです。ビットコインのチャートが上昇していたのです。そして、時間を計測しました。約8分…。異常値からビットコインが上昇するまで約8分、データ量としては不足していました。私は、紙と赤鉛筆を取り出し、某テレビドラマの博士のように無数の式を書き始めました。無数のデータの意味するものは何か?私が作ったプログラムに異常値が発生するのか?ビットコインと他のチャートに相関関係はあるのか?ビットコインが急上昇したのはいつだったっけ?ビットコインが急上昇したときに何が起きただろう?

 私は、ゆっくりと背中を伸ばしMac Book Airの前に座り直しました。思いの外、長い時間考えていたようです。周りには、赤い文字がいっぱい書き込まれた紙があちこちに狂った落書きのように散らばっています。ビットコインがマーケットに現れた頃から2021年5月現在までのチャートとアメリカ国債金利のチャートを印刷した紙、それと、主要なチャートを印刷した紙も強盗に襲われた被害者の部屋のように無惨に散らばっていました。後ろをみると、結婚祝いとして妹から送られた鳩時計がものを言わず二つの針が12時近くをさまよっていました。1日が終わろうとしていました。プログラムはPCがスリープしたことで止まっているようでした。モニターもコーヒーで満たされたカップの水面ように疲れた顔の私をうつしていました。電源ボタンを押し、気の抜けた炭酸のような電子音を鳴らしながら、検索エンジンで調べていたニュースが姿を見せ、ガッツポーズをするバイデンアメリカ合衆国大統領の写真が現れました。
 私は今までに考えていたことを整理していました。眠りに落ちる直前に聞こえてくる頭の中の誰かがボソボソと喋っているような声が聞こえた気がしました。そして、少しづつ記憶を遡っていきます。私のすぐ両側の空間がマトリックスの映画を見ているように、黒いスクリーンに緑色がかかった色の無数の数字が並んでいました。私の両サイドに見える数字は、どんどん変わってきました。そして、私は、座っていながらにして、ベッドの中でipadを触っている自分の姿を感じました。これは私の過去の感覚なのだと気がつくのにさほど時間は必要ありません。ipadの日付は1月6日と表示されていました。ビットコインが急騰したのは2021年1月7日でした。過去にベッドで寝そべっている私とMacBook airの前に座っている今の私が二重写しのように重なり合います。過去と今の私が考えます。急騰するには、それなりに理由があるはず。一体、何があったんだろうか?二人の私は、2021年1月の出来事を再確認していました。そして、思い出したのです。1月6日に何があったのか。

 2021年1月6日、トランプ元大統領扇動疑惑のあるアメリカ議会襲撃事件です。

 私は、リアルタイムでこのニュースを見ていました。2020年のアメリカ大統領選挙は、アメリカ憲政史上に残る激戦となり、民主党支持者と共和党支持者でアメリカが文字通り二分化したのです。結果、現職であったトランプ元大統領が敗れるに至りましたが、火種がいまだ残っていました。トランプ元大統領は、1月6日にバイデン大統領の不正選挙を訴えて、連邦議会議事堂近くに集結し、抗議集会をしていました。当初、抗議集会は穏やかに進行していました。集会の最後にトランプ大統領が「議事堂に行こう」と言った一言が、群衆を議事堂に動かします。最初は、平和的な行進と思われました。群衆が警備の職員と衝突すると、群衆の一部がバリケードを破り、議事堂に侵入を始めました。この時は、まだ群衆は冷静だったと思います。しかし、痛ましい事件があり、群衆がヒートアップ。ついには連邦議会議事堂を占拠する事態となります。これが、私が見ていた2021年1月6日に起きた襲撃事件の概要です。
 この事件の最中、SNSは大盛り上がりでした。沢山の人たちが、SNSを通して色々と発言していました。トランプが正しいと主張する人、バイデンが正しいと主張する人、両陣営に平静になるよう宥める人、事件をきっかけに荒唐無稽な組織が存在を広めようとする人、この襲撃をお祭り騒ぎのように捉える人、まさに主張の百花繚乱でした。無数にある主張の中で、私は気になる書き込みを見たのでした。

 アメリカ国債が大量に売却されている。

 国債は国が負っている借金のことです。本来であれば、国といえども借金を返さなければなりません。日本で国債が膨らんでいることを問題視される理由は、国は借金に利息をつけて返さなければなりませんが、将来、借金の利子の支払いのために多額の税金が賄われ、本来使われなければならない福祉や防衛、インフラ整備、教育といった大切なことに税金を投入できなくなるからです。そして、金利も支払えなくなれば、通貨の価値が急落して国が倒産することになります。もっと、会社のように破産するわけではなく、国際通貨基金が財政再建に口を挟むようになるでしょう。しかし、世界のどこでも通用する通貨、いわゆる基軸通貨であるアメリカドルは、このルールが通用しません。アメリカは、基軸通貨である限り、いくらでもドルを刷ることができます。アメリカドルが信用されてさえいれば。そのため、アメリカ国債は、ドルが基軸通貨である限り盤石であると思われていました。しかし、そのアメリカ国債が大量に売却され、ダブついた資金がビットコインに流れたとしたら…。

 私は、床に落ちていたチャートをコピーした紙を拾い上げ、2021年1月7日以降のビットコインのチャートとアメリカ国債の金利を比較しました。ビットコインのチャートは、激しい値動きのすえ徐々に上昇していました。アメリカ国債の金利は、ビットコインのチャートに反発しているように見えました。そうは言っても、あまりにもデータが足りませんでした。私が作ったプログラムが本当に異常値を観測しているのなら、2021年1月6日から現在までの分析データが必要です。しかし、プログラムが動いている期間でなければ異常値を拾うことはできません。このプログラムが異常値を観測しているかどうかを確認するには、第二第三のビットコインの暴騰か暴落を予測することでした。そのためには、24時間稼働させるプログラムと、それを実行できるサーバを用意する必要がありました。

 私の頭は、熱くなってきました。私の頭の熱は、検討すべきデータが不足しているという重大な事実を、ありふれたエラーの一つであるかのように数あるエラーの束として葬り去りました。まるで、熱暴走する直前のPCの頭脳CPUのように。そして、思考が早く、早く、早く進みました。この時、私の思考は一筋の光でした。私の両サイドの空間は延々と引き伸ばされ、薄い緑色が白い尾となって後方に伸ばしていました。引き伸ばされた空間の先に、私の意識は、高いビルから道ゆく人たちを眺めるように、物事の全体像が見えたように思えました。物事は最初、真っ白でした。よく見ると物事は平方に敷き詰められた巨大なドミノでした。ドミノは、左端から順に倒れ始め、白い物事のキャンバスからの新しい絵を描いていきました。
 アメリカ国債の暴落、買い支えるFRB、連鎖する金融商品の下落、市場心理は恐慌売り、一旦の反発、再び恐慌売り、企業の破綻、信用リスクの収縮、信用保証する金融機関の破綻、連鎖する倒産、金融商品の売却が止まらない、各国は金融恐慌を起こさないように躍起になる、いや、一国だけは違う。アメリカ合衆国だけは。もし、私の考えが正しいのなら、アメリカ合衆国は、金融市場を自由に操っていて、もはや価値のなくなったアメリカ国債をゾンビのように価値があるように見せかけている。そして、アメリカ国債を暴落させるタイミングを図っている。

 全く愚かなことですが私には目の前に現れた物事の全体図は天啓のように感じました。ドミノ倒しから描き出された天啓は、一つの巨大な絵を描きました。絵のタイトルは「未来」でした。

 「未来」は、天使のように虚栄心を満たすように甘く私にこう囁きました。
 近いうちに意図されたアメリカ国債の暴落を端緒にした、21世紀初の世界恐慌が起きると。
(つづく)

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