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働かない事は責められることなのか?

母の周囲に、一生働かなくても暮らしていける人がいました。

実際、彼は働いていませんでした。彼は、結婚した途端退職。

奥様はさぞかし、驚いたことでしょう。

お金の管理はすべて、彼の母親がやっていました。

専業主婦を夢見ていた奥様でしたが、自由になるお金が欲しくて働きに行く羽目になりました。奥様はどちらかと言うと、派手にお金を使う人でした。

やがて、お子様が小学校に上がりました。当時はまだ、学校などで父親の職業を尋ねられる時代だったそうです。

近所の人達や親戚、妻や子供にまで「何で、働かないんだ?」と責められていたそうです。

私の母は、「人に迷惑もかけていないのに、あの人は何故責められなければならないのかな?」と子供心に思っていたそうです。

皆の「働け!」コールに耐えられなくなった彼。

だまされて訳の分からない会社の取締役に就任して、財産のほとんどを失ってしまいました。

お金のある頃は友人と称する人達が沢山集まって来ていましたが、その人達や妻や子供さえも彼の所から去ってしまいました。

周囲の人達に働け圧力をかけられなければ、彼は一生何の問題もなく生きていけたそうです。

程なくして、彼の死が伝えられました。道端で、行倒れていたそうです。

誰も彼の葬儀を出そうとはしなかったそうです。

そんな極端な様子を目にしてきた母。人は必ずしも働かなくても良いんだという考えを持っています。少々、異質な考え方かも知れません。ちなみに、母自身は大変貧しい家庭に生まれたため、働く事を選択しました。

私自身も、一生働かなくて済む身分ではありません。ただ、友人にはそういう身分の人がいて、彼女は就職しませんでした。

就職しなかった友人には、同級生たちから冷たい視線が注がれました。でも、友人は気の弱い性格ではないため、どこ吹く風でした。

日本国憲法には「国民の三大義務」なるものが定められています。

そのうちの一つに「勤労の義務(27条1項)」があります(その他には、「 教育の義務(26条2項)」、「納税の義務(30条)」があります)。

勤労の義務に反したからといって、特に罰則がある訳ではありません。

時代の流れと共に、働きたくても働ける場所が少なくなってきています。

「働くor働かない」を選択できにくい時代が到来しているのかも知れませんが、それを選択できる人(特に働かない事を選択できる人)にとって、この勤労の義務の定めはどう映るのでしょうか?

また、働かないではなくて、働きたくても働けない人達にとっても労働圧力が重くのしかかります。

働いている人、またそうでない人、どちらの人達に対しても、寛容な社会であって欲しいものです。



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