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まだ四十九日を迎えていないけど、書き留めておきたいことがある。


先月、父が亡くなった。


病名は長々と説明されたが、正直覚えていないので脳梗塞ということにしておく。
9月の末に、母からの電話で父が緊急搬送されそのまま入院することになったとあってから約2週間。
治療の甲斐もなく、あっけなく逝ってしまった。



「明日、頼むわ。」

父が倒れる前日。
父の仕事の手伝いをすることになっていた私に、彼はそう告げて颯爽と帰っていった。とても元気だったのだ。その前も会話をちゃんとして、大声で笑えるくらいの元気がちゃんとあったのに。

「明日、8時出発だよね」
「そうだよ、よろしく」

これが最期の会話になるなんて誰が想像したろうか。
それからあっという間もなく、元気だった姿を私の記憶に鮮明に残したまま父は天国へと旅立ってしまったのだ。



正直、父が大嫌いだった。
私が幼いころからずっと仕事人間で、家族のことなんて一切見向きもせず、時には私に手を上げる。
私が大人になってからも、話しかけられる度に言いようのない苛立ちを募らせていた。ずっと私にも母にも酷いことをしてきたのに、と。

ただ父がだんだん老いていき、それでも仕事に精を出すものだから私が手伝いを申し出たのが3年くらい前だっただろうか。
その頃にはもう父への嫌悪感は仕事だと割り切ってなくすことができていた。
むしろ、以前より丸くなったのをいいことにあの頃の仕返しだと私は父に文句ばかりを言えるようになっていたのだ。
そしてそれがもう少し続くものだと思っていた。



絶対泣くもんか、泣いてやるもんか。

病院から通夜、葬儀まで怒涛のような時間の中で自分がこれだけをただ強く思っていたことを覚えている。
あれだけ嫌いだったのだから、私に泣くことなんてできないと。

でも結局。
数日経って、私は母の前で泣くのである。

「嫌いだったんだけどなぁ…涙が出てくるんだよ」
「当たり前でしょう。“親”なんだから。」


そうか。どんなに嫌いでも親なんだ。
私が泣いてしまうということは、私が知らない父親の顔がきっとどこかにあったのだろう。記憶にないだけで。


「お父さんも天邪鬼だから。でも最期まであんたのことが心配だったんじゃないかな。」


と母は涙を滲ませながら言った。
少しだけ、過去を含めて許せるかなと思った。

「お母さんなんて、『今日結婚記念日だから花を買って帰ろうと思ったけど、仏花しかなかったからやめたわ』が最期の会話だったんだから。」



でもやっぱりそのデリカシーの無さだけはどうしても許せそうにない。
そんな父も、今週やっと四十九日を迎えるのである。

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