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かたちになるのを待っているなにか

6月も小説を書いていた。

去年のちょうど今頃、初めて賞に出した時は爽快感でいっぱいで、わーすっきり、頑張ったな~と浮かれていた。数か月後、それが最終選考の手前まで残っているのを誌面で見た時も浮かれた。本当に届いていることと読まれていることにも驚いた。

あれから1年。書き続けるうちに、一貫して自分にまとわりついているテーマがあるのを感じている。

そのテーマの色みたいなものは濃く薄く、日常に混じっている。書いてるときだけじゃなくて、家で仕事をしていても、友だちと会っていても、ひとり電車に乗っていても色がただよっているなあと思う。ああまたこれだ、そういう表れ方もするんだ、って気づくたびにひたすらキャッチしてメモをのこす。プライベートでショックな出来事に遭遇して心がずーんと重くなっても、時を経て思い返すとそこにはやっぱり同じ色(テーマ)があったように思う。

それは、この1年で突然ぱっとあらわれたというよりは、長い年月を経て徐々に姿を現したのだという気がする。もしくはずっとそばにあったけれど、私が気づかなかっただけかもしれない。今となっては日々存在を感じる「それ」は、私に書かれることを待っているんじゃないかと勝手に思うこともある。

そんなことを思ったり思わなかったりしながら、この1年で5作くらい書いた。
書いたものを振り返ると、主人公や設定はどれも違うのに、根っこの部分ではやっぱり同じテーマで繋がっている気がする。そして毎回書き足りない、書けていないと感じる。まだまだ、全然、こういうことじゃない、みえているのはこんなもんじゃない、もっとあるだろう~~と自分の未熟さにいらいらする。

感じて、味わって、何度言葉にしようとしても、書けば書くほどだめになっていく気がして、今回書いてる時などはもう何度も自分の下手さを呪って、途中でデータも紙も捨てたくなった。正確には、書いている間は「いいぞいいぞ」って思う瞬間もあるんだけど、時間をおいて読み返すとがっくりくる。ちがうちがう、ちがうんだよ。もっとあるだろう、なんでできないんだよと思う。

それでもなんとかまた書き終えて、いつものようにひとりの友だちに読んでもらった。感想をもらってまた考えて、直して、先週公募に出した。去年のような爽快感や達成感はもうない。あるのはただ「焦り」だ。なにかを本気で表現したいと思ったら、人生はあまりに短いんじゃないか。一生かかっても私には今見えているこのことを表現できないんじゃないか、できないまま死ぬんじゃないかと思うとおそろしくなった。

小説を書いてますというのは、恥ずかしい。誰にすすめられたわけでもないのに、自分に「書くべきこと」なんてないとも思うのに、それでも書くのはなんでだろうと何度も思っている。書かずにいられない。

でも最近、自分のまわりにただようこのテーマを表すためには、小説じゃなくてもいいのかもしれないと思いはじめている。私は書くことが好きだし、文章で表現することは最も自然なことだったけれど、それだけにこだわる必要はない。たぶん。

書くことは好きだし一生やめられないけれど、方法にはこだわらずに、とにかく内側や外側にある「これ」をなんとかして表したいと今はおもっている。これがなんなのか本当は自分でもわかっていなくて、かたちにできた時に初めて「こういうことだったのか」と知ることになる気がするけれど。

Twitter:@mkawasem

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