「カンニング」について

こんばんは、ももんがです。

最近のネットニュースに「カンニング」をした生徒が自殺をしてしまったというニュースが出ています。

これについて「カンニング」した生徒に対して指導した教員について裁判が行われています。これについて私見を述べます。いいと思うか、悪いと思うかはアナタ次第・・・。

わたしが公立学校に勤務している際には、折りに触れ「カンニング」について授業で話をしてきました。それは「カンニング」という行為がどういうものかというわたしの評価についてです。

「カンニング」というのは、生徒自身を誤魔化す、あるいは生徒自身のがんばりを「なかった」ことにしてしまう行為であることを伝えました。わたしの受け持つ科目の定期試験では「絶対にカンニング」をせず、「テストの点数が振るわない可能性があることを教えてくれ」と伝えました。

わたしの考えでは、「定期試験」というのはあくまで「評価」をする一つの項目でしかないこと、そして「定期試験の点数」が生徒自身の絶対評価ではないことを伝えています。

これは「定期試験問題」を作るのはわたしで、「定期試験を解くのは生徒」ですので、「定期試験前までの授業で大切なこと」の認識がずれている可能性があること、そして「定期試験の科目」は「私の科目だけ」ではないということです。

「定期試験」の本来の目的は「授業担当者」が「覚えてほしい項目」を「生徒が覚えているか」の確認だけですのです。であれば「担当教員の思い」が伝わっていなければ「どんなに優秀な生徒でも」いい点数はとれないのです。

であれば「定期試験」で「その後の自身の評価」につながる「カンニング」という行為をする必要性はないのだとおもいます。

この結論が正しいのであれば、「カンニングしてでもいい点数を取らないといけない」と生徒に思わせた時点で「教員」は「大きな罪」を犯しているのです。

わたしは初任校のときに、私の科目ではないテストでカンニングをしてしまった、ある女生徒と話をしました。その女生徒は普段の学校生活のなかでとてもいろいろな活動を頑張ってやっていた生徒で「カンニング」なんてするような生徒には見えませんでした。たまたま生徒課の先生の聴取も終わった状況でしたので話を聞きに行ったところ、その生徒に「先生には会いたくなかった、先生に来てほしくなかった」と言われさらに泣かせてしまいました。その時わたしが話をしたのは、「どうしてカンニングをしたのか」ということです。進学希望の彼女は非常に精神的に追い込まれていたようです。

そこでわたしは「この一回のカンニングという行為、わたしのあなたへの評価は変わらない。あなたが学校生活の中で頑張っていたことを否定する気はない。それよりカンニングをしなければ行けないほど追い込んでしまったわたしを含む教員のほうが問題だと思う」ということを伝えました。

その上で「「カンニング」を含む「学校がだめだと決めた行為」をしてしまうとあなたが頑張った評価が適正に評価されなくなってしまうので、そこは考えてほしい。」と私の思いを伝えました。正直学校での「テストの点数」や「評定」は社会に出ればなんの価値も持たないのです。

わたしは「カンニング」という行為を実行するくらいなら、わたしに「テストできなかったから次はがんばるよ」と言ってくれる方がうれしいです。

<追記>
わたしの中でとても大切でびっくりした経験を追記したいと思います。
本当はわたしの中で大切にしている思い出なのですが・・・
前述の事柄のとは別の学校でのことです。1年生が学習する「情報技術基礎」という科目で、授業もきちんと聞いてくれて課題などもきちんと提出してくれている女子生徒がいました。わたしの科目だけでなく他の科目や生活態度も他の生徒ともに頑張っている生徒でした。しかしながら情報技術基礎のテストの結果があまり振るわない、普段の様子から明らかに「情報技術基礎の内容」か「わたしの授業のやり方」がその女子生徒の可能性を潰している可能性を感じました。「情報技術基礎の内容」は興味を持てないと本当の意味で理解することができません。そして「興味を持ってもらうこと」ができていないとすれば、「わたしの授業のやり方」が悪いということです。
こういう場合、多くの先生方はどうするのでしょうか?残念ながらわたしは「普通の」「多くの」「一般的な」先生とは思考回路が違うらしいので、この女子生徒に「直接」話をしてしまいました。なぜなら彼女がわたしの授業で理解や興味を持ってないのであれば、テストの点数が取れているけど、同じように感じている生徒がいると考えたからです。
彼女へのわたしの評価をきちんと伝えました。そしてわたしが感じている違和感や、わたしがしなければいけないことがあると思っていることを。
それが彼女のせいではありませんので、できるだけ彼女を責めるようにならない雰囲気を心がけました。
すると工業の専門学校に入学したけれど、「パソコン(情報)」については今まで興味があまりなかったこと。わたしの説明で興味を持って調べてもその内容が難しく感じてしまうことを話してくれました。そして彼女自身もテストの点数があまり取れていないことに不安はあったようです。
ですので、授業中にわからないことがあったら教えてほしいこと、休み時間でも放課後でもわからないことは聞きに来てほしいこと。そして友達も頼ってほしいこと。一人では恥ずかしくても友達と聞きに来てほしいことを伝えました。その上で彼女自身へのわたしの「評価」は「テストの点数」と一致していないことを伝えました。
結果、彼女は「情報技術検定3級」の過去問を行うと100点やそれに近い点数を取ることができ、定期試験でも上位の点数を取るようになりました。これは彼女自身の頑張りでしかないのですが、卒業の際にこの時の話が彼女にとってはいい思い出になっていることを手紙で伝えてくれました。

この経験はわたしにもすごくいい思い出になっていますし、やはり「子どもたちの可能性」というのは「わたしたち大人が勝手に決めつけていけない」もので、それを「潰す」ようなことはするべきではないという証明になりました。


現在の「観点別評価」がどのくらい、その生徒の評価になるのかという疑問が個人的にありますが、この「評価」で「素晴らしい可能性の持つ生徒」が「追い込まれて愛悪な行動を取る」ことのないようにしてもらいたいです。

みなさんはどう思いますか?

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