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人の気持ちは割り切れないし、他人にはわからない。

こんにちは、ももんがです。
教育分野に20数年携わってよくよく感じたものは、「教員としての」僕の気持ちを「生徒」である年下の人たちは全ては理解できないし、その逆もしかりであるということ。生徒のために発した言葉であっても、悪意ある言葉と受け取られることもあるし、軽い気持ちで発した言葉が生徒の気持ちを大きく揺らすものであったりします。

だからこそ、「教員」は児童生徒に対して「誠実に」対応するべきだと思います。例えば「提出物の期限を守らないこと」についてどのように対応するのが、児童生徒のためになるでしょうか。「忘れた」という事実のみに焦点をあてるのが教員がする「教育」なのでしょうか。

もちろん提出物を忘れることは、一面ではしないほうがいいことですが、しかしながら完全に無くすことは難しいと思います。だからこそ、「忘れた」ということがどう影響を与えるのかを知る「チャンス」として「考える」タイミングになるのではないでしょうか。

昔から現在に至るまで、このような「しないほいがいい」行動について、あまりにも短絡的な指導方法をする教員が多いのが事実だと思います。これは教員という職業に就く方の多くが、いわゆる「真面目」「誠実」「優しい」という側面があり、行き過ぎると自分にも他人にも「完璧」を「あたりまえ」のように求めるため、しないほうがいい「行動」に対してのみ厳しい指導が行われてしまうのでしょう。

本来の「教員の仕事」というのは、授業(教科・科目)と集団生活を通して、「将来の」素晴らしい「人」に育てるものだと思います。
それは「いい大学」に入ることではなく、「自分の行きたい大学にいき、そこで何を学ぶのかを選ぶことができる」が大切なのだと思います。

その本来の教員の仕事を、「文部科学省」と「教育委員会」そして「裁判所」が捻じ曲げてしまっている現状があり、組織としての責任を持たないところが子どもたちにとって不利益な場所になってしまっていると思います。


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