見出し画像

「劣勢に立つ男子学生、家事労働の対価は・・?」

HR Essay-2020-001

「劣勢に立つ男子学生、家事労働の対価は・・?」

税制改正にまつわる議論において配偶者控除の話題が、ニュースや新聞などで時々目に留まる。この言葉に触れると、今から35年以上も前の大学時代のゼミの風景が目に浮かぶ。当時のゼミは、クラーク記念館というレンガ造りの古い建物の中で行っていた。当時は、建物の価値になんら関心をもたなかったが、今振り返ると歴史的建造物の中での貴重な体験であった。

大学の専攻は労使関係であった。ゼミの担当教授は、恐ろしく根気強く、組織における賃金制度やそれにかかわるルール、労使交渉における合意点と相違点を通じて、労働の現場における公平観(Fairness)について地道な作業を積み重ねていた。影響をうけた私の卒論も八幡製鉄所の賃金体系史研究となった。

あるゼミ発表の場で、同じ4回生の女子学生から配偶者控除と家事労働の社会的評価に関する発題があった。家庭内での労働の対価は一体誰が報いるのか、単なる精神的なねぎらいの言葉という道義的な取り繕いではなく、経済的な価値として具体的にどのように報いるべきものかということだったと思う。
ゼミは3回生と4回生の合同で20人くらいの人数だったと記憶している。女子がそのうちの半分を占める。当然議論は白熱する。全体的な論調は、既定概念として、家事労働自体の役割分担の前提が女性であるという単純化された構造に立って発言する男子の立ち位置自体が、そもそも許されないものであるのだと糾弾され、男子学生は圧倒的な劣勢に置かれていた。

労働力を再生産する拠点となる家庭における様々な価値ある家事労働、食事の準備、洗濯、掃除、育児、教育、地域社会への義務に対する対価はどのように評価されるべきなのか。女性の社会進出を妨げる障害になりうるか否かという議論の前に、『そもそも、君たち男子は、家事を分担する気があるのか!』ということを糾弾されていたような空気だったと思う。当時、ゼミ長だった私は、とにかく攻勢を増す女子の意見に迎合し、局面の推移を見守った。家事労働は、個別的な背景もあり、また見えづらい労働でもある。ただ、人間の営みにおいては、かけがえのない労働価値でもある。

こうした労働は、家庭に中だけでなく、共同体組織としての働く職場にも同様に存在する。一緒に働く同僚が少しでも気分よく、快適に仕事ができるように職場の美化に気を配る、サーバーの中に体系化されずに放置されたデータを効率よく使えるようにひと手間かけて整理する、自らが不在の時にも第三者や後輩が自分の仕事をスムーズに対応できるように作業標準書を常に工夫改善しながら更新していく。これらの仕事は、自分の為でもあるのだが、同僚や組織にむけての行為でもある。職務要件書や目標管理記述書には、表現しづらいものでもある。職場という社会的共同体において、こうしたつつましやかな仲間のために汗を流す労働について、どのように評価し、どう報いるのかは、組織全体の倫理性を担保する上で極めて大切な行為でもある。人事屋にとって、どうこの空気を醸し出すか、なかなか難しいテーマでもある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?