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「英国 ピトロッホリーのペンキ職人のこと」

HR Essay-2020-004

「英国 ピトロッホリーのペンキ職人のこと」

ずいぶん昔になるが、イギリスの旅行先のスコットランドの中部のピトロッホリー(Pitlochry)で、今でも鮮明に残る記憶がある。その村の駅で列車を待っていた時に、3人のペンキを塗る仕事をしていた人たちに出会う。駅のホームを側面のブロックに白いペンキを塗っていた。
それが、とても楽しそうなのである。一人はホームの上で、恐らく作業の安全のために、列車の通過を確認する役割、他の2名が、下塗りと本塗りの分担を定め、少し感覚をあけ、並んで白いペンキを塗る。ホームの上の男性は、大きな声で歌いながら、時々線路上を歩きながらペンキを塗る2人に笑いながら声をかけている。いかにも楽しそうだ。こんなに楽しそうに仕事をする人たちが世の中にいるのかと記憶として刻み込まれた。

以前、国際産業関係研究所(京都 同志社大学内)の月例の研究会に出席した時のこと。当日の発題者は、研究所の所長でもある大学の恩師(石田光男)であった。久しぶりに懐かしい講義を聴く機会となった。論点を極端に要約すると、経営計画(戦略)の良質性の有無は除き、「労働支出と賃金との間の交換ルール」において、企業はどのように生産性を高めていくのかを地道な実証研究してきた結果、結論は年功賃金であっても業績は上がる場合もあるし、成果主義をとっても業績は下がる場合もある。人事屋にとっては、悲しいことに、要は労働とその対価の交換メカニズムだけでは、生産性の高低の因果関係を解き明かすことができないのだと。

長期的・持続的な視点で、生産性が高い組織特有の仕組みはどこにあるのか、一方で生産性が改善されない組織には何が欠けているのか。実務を預かる人間にとって、できるだけ論拠をともなって、個別組織に適した処方性を描かねければならないのであるが、往々にして、その面倒な手順を踏むことを避け、社会に流布されるはやり病のような症状として、出来合いの処方をしてしまう。時として的外れな処方をしてしまい、職場の静かなるしっぺ返しを受ける。

あのピトロッホリーのペンキを塗る職人の労働の現場を思い返すと、生産性が高いのか否かという視点を超え、明らかに労働を楽しんでいる。そこには仲間との協調と、上役の監視を離れても、仕事に対する倫理観が保たれている。労働の主体性を働く現場にゆだねつつも、組織の期待を過度な労働者間の競争関係を避け、浸透させることが人事政策の要諦なのかと私にとっての企業内人事政策のアイコン(icon)になっている。
 彼らは、仕事の後、みんなでパブ(Pub)に行き、一日の労をお互いに称えたに違いない。そして、次の日もお互い誘い合って、きっと意気揚々と働く現場に赴く。

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