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牧師夫人の徒然なるままに(七四九) 安食道子「平穏な日常への哀惜」  

 毎朝愛犬の散歩をします。ほぼ決まったコースを決まった時間に歩くので、知り合いではないけれども知っている人たちとすれ違います。
 スキーのステッキのようなものを両手に握りしめて忙しくウォーキングするご老人、ひたすら地面に目を落としつつ足早に過ぎゆく細身の中年婦人、自転車の前後に大きな荷物を積んで颯爽と漕ぎ行くパワフルなおばさん、待ち合わせの場所に無言で佇み、やっとやってきた相棒に文句を言うこともなく寄り添って登校する女子生徒、陰鬱な表情で液体タバコをふかしながら仕事場に向かう不健康そうなカップル、両腕を脇の下に畳み込んでラグビー選手のような鍛えた体でジョギングする中年のおじさん等々。知り合いではないし、挨拶をする仲でもないのですが、私にとっては「平穏」を確認できる楽しい日常です。
 それは平穏過ぎるやや退屈な日常だとも言えますが、知り合いではないにしても久しくその姿が見られなかったりすると、妙に心が騒いで心配が募ります。そして再度姿を確認できた時には嬉しくて愛犬と共にスキップしたくなります。
 神様が与えてくださった日常の小さな幸せ。それを突然奪われてしまったウクライナの人々の悲惨さを思います。それを奪うことは大きな罪だと叫びます。

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