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メッセージ要約 2024.6.23 「復活のイエスに出会う」

メッセージ要約 2024.6.23「復活のイエスに出会う」


○マルコの福音書16章9−14節

だまし絵というものがあります。初めはぼんやりとしたものが、答えを聞いた後、はっきり見えるようになったりします。クリスチャンの中には、「復活したイエスキリストは今も私と共におられる」と自信をもって同意する人もいますが、確信がもてない方もいるでしょう。今日は、復活のイエス様に出会うとはどういうことかを学びたいと思います。


1. マグダラのマリア(誰かから伝えられる段階)

復活のイエス様に1番最初にあったのはマグダラのマリアという女性でした。当時、マリアという名前が非常に一般的だったので、マグダラという地名をつけて区別していました。彼女は、かつて7つの 悪霊をイエスに追い出してもらった人であると記されています。彼女は復活したイエス様に出会った後、すぐに弟子たちに告げましたが、弟子たちは信じませんでした。

みなさんは誰から復活したイエス様のことを聞いたのでしょうか? 家族や友人からでしょうか? その時は、信じられない!とは言わないまでも、疑いの思いをもったのではないでしょうか。それはある意味当然の事です。人は、自分の経験と照らし合わせながら、信じる信じないを決めるからです。誰しもが通る、この段階から前に進むためには何が必要か?

それは真剣に聖書の御言葉に向き合っていくことです


2.エマオの途上の弟子たち(御言葉を通して復活の主と出会う)

それから、彼らのうちの二人が徒歩で田舎に向かっていたとき、イエスは別の姿でご自分を現されました。「彼らのうちの2人が」とありますが、十二弟子の中の2人ではなく、伝道旅行に派遣された72人の弟子たちの中の2人だと考えられます。

1人の名前はクレオパ、もう一人の名前は記されていません。この2人の弟子はエルサレムで起こったこと、イエスの十字架の死、埋葬、そして死体が消えたという噂について話し合っていました。そこに、イエスご自身が近づいて来て、話に入ってきます。イエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされます。そして夕食を共にし、イエス様がパンを裂いた時に、彼らの霊の目が開かれ、イエス様だったと気づきますが、そのとたん、姿が見えなくなります。

その後、彼らは言います。「私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」これは彼らがイエス様の御言葉の解き明かしを通して復活の主が共におられることを感じていたということです。この時イエスが死んだと落胆していた彼らの心に復活の希望の光が差し込んでいたのです。

聖書を読んでいると、イエス様が私に語りかけてくださっていると感じる瞬間があるのです。その時みなさんは実感するのです。「ああ復活のイエス様が今私と共におられる」と。


3.弟子たちの姿から(聖霊体験を通して復活の主と出会う)

その後復活のイエス様は11人の弟子たちの前にも現れてくださいます。11人の弟子たちは、自分自身が復活のイエス様を見て初めて信じたのです。ある意味うらやましい出来事です。しかし、私達には、当時の弟子たちには与えられていなかった恵みがあります。それは、私たちのうちには、三位一体の神ご自身、助け主である聖霊が、うちに住んでおられるということです。私たちはその聖霊を通して復活のイエス様を体験する、まるでその目で直接見たかのようにイエスキリストに出会うことができるのです。

私自身も、2009年1月30日、聖書学校1年生、ある礼拝の中で、神様が心に「私はお前の罪のために十字架について死んだ。私は命を捨てるほどお前を愛しているよ。」と語ってくださるのを感じました。私は復活したイエス様と出会ったのです。

イエス様はみなさんのそれぞれの人生に、必ず出会いの計画を持っています。復活のイエス様は、御言葉を通して出会ってくださいます。また精霊を通して共にいてくださっていると、確信を持てるよう導いてくださいます。私たちは今日の箇所から、その恵みを思いおこしたいと思います。


(H・T)

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